いま
どこに
居るのか
いま
どこに
属しているのか
いまが
いろんな分かれ道の分岐になる
そういうこともある
東日本大震災のときも
どこに居たか
どこに属していたか
その先の対応も 被害の大きさも
選べる幅も違った
大企業とはいえ
高卒の地方工場採用は
転勤がないといわれて入社
世の中は
時代とともに変化する
2002年
春の辞令で
転勤するか退職するか・・・2択
転校も転居もしたことのないわたし
〔転がる〕→不安定な選択をしたくない
残る部署のセンター長に
「行きたくない。」
わたしを採用してくれないか・・・って
相談してみる。
センター長曰く
「行ってみたらいい。行ってみて、その先、考えたらいい」
2002年の秋
相談したセンター長の職場にも
リストラの嵐
2002年の春に異動対象でなかった人たち
1,200人の ざわめきを
すでに勤務地を異動していた川崎で聞くことになる
2008年
退職して地元に戻る決意
人事部との退職面談も
たくさんの送別会も済んで
退職金の振込先(金融機関情報)の提出だけを残し
退職まで あと2週間・・・って頃
辞職せずに籍を残し
地方工場(グループ会社)へ出向という形で地元へ戻る
送別会も済んでいる
退職挨拶も済んでいるのに辞めないという選択
「辞める辞める詐欺」だと言われたわー
2012年
地元へ呼び戻してくれた社長が退いたために
辞めやすくなった。
second life produce制度で退職
役員決済を持ち回りしてくれる幹部社員まで現れて
とんとん拍子で話が展開した
2019年
全国で 5,000人対象であった配置転換(事実上のリストラ)で
わたしの属してたグループ会社
解散する方向に決まったらしい。
2002年の春
川崎市へ引っ越し、勤務地変更していなかったら
今の仕事を営む機会はなかった
いろんなスクールに通うこともなかったし
今の仕事資格を取得することもなかった。
資格所有していなかったら
早期定年退職制度のsecond life produceで
提出する事業計画書を書けるあてもなかった
すべては
2002年 転勤する選択から始まった
転勤(異動)対象の部門に属していた。
その部門の数名のリストの中に居た。
ただ
それだけ
そして
わたしのいま
ココロもカラダも軽やかに♪