あの日。

いつまでも揺れが収まらなかった。


机の下に避難して、机の上のタンブラーは転げ落ち

カーペットに、コーヒーの形跡が残る。


帰宅途中の家々では、瓦屋根が崩れ

道路の信号機は機能していない。


その夜、自分の住む家に

電気が点くことはなく

どんなに目を凝らしても、闇夜。


懐中電灯のあかりで夕飯を摂ってすぐ

寒すぎて・・・布団に入ってた。

そう、いつでも避難できる格好で・・・


余震は、なかなか眠らせてくれない。


電気は3日目にやってきて、水は、その翌日にやってきた。


停まったまま動かなかった電車も

落ちてしまった橋も

しばらくすると復旧した。


何かと何かをつなぐ『架け橋』

失って初めて気づかされる。


一方だけの想いでは、つながらない。


互いの手と手をさしだして

手はつなぐことができる。


ならば勇気をだして

手をさしだしてみよう。


もしかしたら相手も

手をさしだしてくれるかもしれない。


そこから小さな『架け橋』がうまれる。



クリップコチラは、私のお守り。『チタン・プレート』

くつろぎサロン ふらり・ごろり・ネロリのブログ-チタンプレート
左鎖骨、粉砕骨折で機能しなくなったカラダを

つなぎとめてくれた「7.5cm」の架け橋。


8ヶ月、体内に埋められ、無事に鎖骨はつながった。


10年以上前のあの日

救急車を呼ぶために手をさしだしてくれたのは

見ず知らずの方だった。


たくさんのひとたちからさしだしてもらった手で

いまの私がここにいる。感謝。