大江健三郎森の中のコミューン | 労人社のブログ

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戦中日記(続労人社だより)230309号

「大江健三郎森の中のコミューン」

🕷大江健三郎が晩年に提起した(森の中のコミューン)というイメージはもっと注目されて良い。大江の小説はつねに(難解だ)と論評されがちであったが、社会運動家でもある彼が、同時代の国家、社会、共同体、人間をテーマに小説を書いたとすれば、さほど難解ではない。大江と読者は同じ対象を少し違う視点から見ている。ただ、彼の視点が社会、時代の歪みにとらわれていないだけだ。

🐛四国の山中に創設された森の中のコミューンでは、中央国家には出生児の半数しか戸籍登記しない。(徴兵、強制労働、徴税)などの負担が半減し、絶え間ない戦争で多くの若者が戦死して貴重な労働力を失う中、この共同体では戦役を忌避した無籍村人が働き手として確保されており、外の政治と隔絶されたままで、豊かな生活が安定して続けられる。平和を希求する共同体として描かれる。しかし、国民国家に周囲を囲繞された小さなコミューンとしてではあるが。

🐝このモチーフには当然ながら憲法第9条の存在がある。大江自らが語るように、彼は戦後民主主義と、その戦後精神とともに生きるニホンの人々を小説の主題としてきた。だが、正力、笹川、岸ら多くの戦犯どもが米により放免された(逆コース)からこっち、天皇制、沖縄、核問題等々に反対、異議申し立てする社会運動家としても活動してきた。文学と社会運動とは哲学において一致しており、つねに、国家、社会、人間を見る視点の方向は変わっていなかった。

🦟ゾミア(JCスコット著)の中に(徴兵、強制労働、徴税によって重い負担を強いられた人々は、反乱を起こすより、概して山地や隣の王国に逃げることを選択した)という一節がある。この本は-脱国家の世界史-という副題があり、ベトナム中央高原からインド北東部、中国に接する丘陵地帯を指す言葉で、周辺9ケ国の支配から逃げてきた約1億人の少数民族たちが生活している地域のことだ。

🪳いまだ、国民国家に統合されない人がいる。それも従来の近代化史論で言われたいわゆる(未開民族)ではなく、平地国家の規制、搾取を嫌い、農耕に比較的不適な森林、沼沢地に逃散した人の末裔らだそうだ。軍事、経済のグローバル化で非国家共同体の存在はこの先困難になるだろうが、ウクライナ戦争もあって、世界の難民数は5億人近く、地球人口の7%ほどに達している。国民国家からは何の保護も受けず、むしろ禍いだけを強いられる難民が、将来の難民候補が驚くほどいる。

🐞かつて、白土三平のカムイ伝を通読して(なぜ正助は一揆衆の蹶起をとどめ、逃散を戦術としたのか)を真剣に悩んだものだ。実際の歴史資料では一揆より逃散の件数が圧倒的に多いそうで、むしろ史実に近い。国家がその強制力で軍事力しか保持していなければ、隣国の他藩で農作業をすれば、何とか凌げる?かもしれない。軍事力で米生産はできず、武士、商人こそ困るのだそうだ。アメリカが南北戦争で奴隷制労働を賃労働に転換しないと資本主義が発展できなかったようなものか!

🐜大江が最後にイメージした森の中のコミューンには(国民国家、民族国家からの精神的離脱)が提起されている。いま、国民国家とやらが実体を伴い登場するのは戦争と国際的スポーツイベントしかない。どこに暮らしても周りは多言語、多料理、多様性だけである。71年、ニクソンがドル危機で涙を流した年に、われわれはJレノンのイマジンを聴いて、宇宙船から国境は発見されないことを教わった。

🪲この国では入管法を改悪して、国家に纏わらない自由人を強制送還する。米韓日が目論む台湾、朝鮮有事で難民の数も増えるだろう。逃散とは農民が自由意志で選択するものではない、この地球で日毎増えている戦争・経済難民の総称である。亡くなった大江健三郎が最後に残した(森の中のコミューン)のイメージがそんな絵を思い描かせた。逃散を決意した難民に武器を提供すれば、国民国家の幻影などすぐにぶち壊れるだろうに!