なんとなく今年は良いことある如し | 労人社のブログ

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戦中日記(続労人社だより)230101号

「なんとなく今年は良いことある如し」

☀️(石川や浜の真砂は尽きずとも)は、石川センセイ違いであって、新年の始まりのうたは、(なんとなく今年は良いことある如し、正月の朝はれて風なし)。1911年の悲しき玩具に収められた啄木センセイうた。初句の(なんとなく)がありがたい。晴れ渡った関東の正月の朝を寿ぐにふさわしい31文字の如しのようで、その実、暗雲陽を塞ぐ、暗澹たる卯年を象徴たる短歌である。

🌤まずは、最後の句。これは啄木が金はなしと詠んだのを編集者が風に替えたとされている。(働けど働けどなおわが暮らし)は現在日本の労働者の共通の思い。大晦日が開けて、正月が来たとて、(良い)ことがあるはずがない。兎は食べれば美味しいけれど、食べられる兎は、琉球の人たちと同じで、いつ殺されるか?わからない。親が喧嘩をするから金を出せ!と言われて、(今年は良いことが)と思う子がどこにいる。

🌪新年早々、快晴のわが家の上空をニホン軍機が遊覧飛行をしている。センセイ攻撃の場所を探しているらしい。石垣島など沖縄諸島ほど緊迫感はないが、Xマス、お年玉で43兆円もの悲しき玩具をプレゼントされたものだから、関東の兵隊どもが浮かれている。いや、ニホン軍には兵卒はまだいないのか?生活保護家庭から無理やりリクルートするにしても、あと数年はかかる、良いことがあるにしても、今年ではなくもう少し先!だから、なんとなくなのか。

☔️この短歌が発表される半年前。法匪・平沼騏一郎が大逆事件をデッチ上げ、非戦論者、社会主義者を弾圧した。24名を起訴、非公開裁判で12名を死罪にし、11年1月には、審理もせずに無罪の人たちクビを括ることになる。司法、マスコミのあり様は令和の今と瓜2つ。だから、歴史的には(良いことある如し)のわけがあるはずがないのだ。

☃️啄木の悲しき玩具は、その後の一握の砂として編まれた。大逆事件の事実を新聞社(校閲記者)の端くれとして接することを通じて、啄木は実践者として目覚め始める。日記に記した言葉が「われは知る。テロリストの悲しき心を。言葉とおこなひとを分かちがたきただ一つの心を、奪われたる言葉のかわりに、おこなひをもて、語らんとする心を、われとわがからだを敵になげつける心を、、しかして、そは真面目にして、熱心なる人の常にもつ悲しみなり」。

💫なんとなく、啄木は山上徹也の登場を予感していた気がしてきた。啄木の社会主義者への目覚めは、幸徳秋水に加えて伊藤博文の遭難死にも衝撃を受けたためとされている。(命なき砂の悲しさよ、さらさらと握れば指の間よりおつ)とうたった啄木が、あほシンゾウに天誅を下した狙撃手と重なってきた。「なんとなくことしは良いことある如し、正月の朝晴れて、風なし」がなんとなくことし良いことをつれてきてくれる気持ちにしてくれる。うむっ、不思議だ。

🌀ところで、(石川や)ですが、新年明けても、盗人の種は尽きまじでして、国民の懐で戦争をおっ始めて、金儲けをしようと考える原子ムラやミツビシ村の住民は尽きないという意味です。