時計を捨てて美味しい食事を | 労人社のブログ

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戦中日記(続労人社だより)220418号

「時計を捨てて、美味しい食事を!」

😳「あぁ、腹が減ったな、何か美味いものでも食うか」。これは、正しい日本語だと思う。お腹がすいたから、何かしら食べたいと思う。これも、正しい事態であろう。学生の頃はいつも腹をすかせていた。だから、食べ物が美味しかった。というより、味など二の次、口に入ればよかった。それは、お腹がすいていたからだ。

😱しかし、久しく腹がすくことがなかった。腹が減る前に何かしらを口にして、胃腸が孤独を感じることがなかった。さらに、正午になれば昼メシを、3時になればお茶にした。「あぁ、12時か、メシを食わなければ」。これは、正しい日本語か?少なくとも真っ当な事態ではない。でも、ずーとそうしてメシを食べるきた。

✋コロナ禍で、運動不足を実感したこともあって、食事は1日2食で済ませている。朝起きて朝食、時計が12時をうつと昼メシ。この時には、腹がすいたという気はしない。あとは一杯の焼酎とお菓子をちょこっと。夜方に腹がなることはあっても、空腹感とは程遠い。体調は至って良く、腹をすかせた朝食はすべてが(食べて栄養、見て滋養)となる。食文化の始まりは「あぁ、腹が減った」にあることを実感する。

😴丸谷才一の(裏声で歌へ君が代)で、独自の時計論が展開されている。詳しくは自分で読んでいただくとして、腕時計は資本が労働者に科した手鎖である。腕時計というのがミソで、賃金奴隷が1秒たりとも、資本家が買い取った時間(労働日)を無駄遣いさせないように、手錠をかけられた。決まった時間の1秒前に仕事を始め、1秒後に作業を止める。腕時計はそのための見張りである。

💤近現代では、時計の指示でヒトは動く。7時に朝食、12時に昼食、6時に夕飯を食べて、近代より前には稀であった糖尿病、心臓病の薬を寝る前に服用して、翌朝は元気に起きることが義務とされた。「あぁ、腹が減ったな、何か美味いものでも食うか」など贅沢の極みとされる。養鶏養豚酪牛(養牛とは言わない)の肉と同じ待遇である。

💔学生の頃の夏休み。深夜ラジオを聴き、眠入り、起きた翌昼の12時。(お前たち、昼は何食べたい?)と母親の声。(なんでもいい)。(じゃぁ、サンドイッチでもいいかい?)(それでいい)。朝メシ抜きの昼メシは腹がすいている分、どうあろうが美味いもの。休み期間中の生活サイクルはほとんど変わらない。12時。(何がいい?)、(何でも)。これがずっと続く。サンドイッチを出し続けた母親が偉い。

😇昼に起きて、同じサンドを食べて、美味しいと感じたのは腹をすかせていたため。時間通りの食事は刑務所と同じで、決して旨そうに思えない。コロナのお陰で、腹が減ったあとの食事の美味しさを思い出した。と、ここまで考えて。なら、子ども食堂の運営が困難となり、世界の難民が1億人近くまで増えたのは、「腹を減らさせ、美味しい食事を提供しよう」というためか?

✊バカ言うな!資本はいつでも鱈腹食っている。いつでも自由に、使用できる労働力を確保するために暴力的に貧困を、紛争を企てている。腕時計の手鎖で従順な労働者を飼育するだけでは飽き足らず、コロナ、ウクライナ有事で金儲けを企む。金貨は食べてもまずいのに。手鎖は資本の首に巻きつけるのがお似合いだ。労働力は食事の前には腕時計を外さなければいけない。この世の中、新しくも古くも、まだまだ資本主義の社会であり、いちいち人の食事についても指示をしやがるのだから。時計を捨てて美味しい食事を!