英寿!醜悪なるかな体操会系精神 | 労人社のブログ

労人社のブログ

ブログの説明を入力します。

戦中日記(続労人社だより)211163号

「英寿!醜悪なるかな体育会系精神」

★★★大谷翔平がスポーツ・アスリートの爽やかさを振り撒いた一方、日大・田中英寿は精一杯に体育会系の醜悪さを吐き出している。アスリートが爽やかで、体育会系が醜悪だと決まっているわけではないが、それぞれが持つ本質の一端を、2人の振る舞いが象徴的に表現してしまった。いま、翔平のことはさて置いて、問題はこの英寿的醜悪さについてだ。

★★★顔や下腹までに脂肪がたまった皮相的な醜さについてではない。上意下達型の命令系統を是とする精神のあり方が醜悪と思うだけだ。この英寿、アマ相撲の超エリート。30余のタイトルを獲得した力士だ。しかし、その体躯で大相撲に入れば、よくて幕下どまり。転じて、大学を食い物に私腹をこやした。その際、英寿の力の源泉が体育会系なるものであった。

★★★話は変わって、ラジオ体操が軍事教練の一環であることは周知のこと。強い兵隊さんを育てるには、日々、厳しい訓練が必要だろうが、幼児期から教練のイロハを身につけさせる狙いで学校教育に導入されたのがラジオ体操。命令一下、一糸乱れぬ行動で、体力を養成でき、知らぬ間に全体主義的精神を受け入れる。うまいものだ。

★★★歩兵中心の軍隊にあっては、強い兵隊さんの条件は1に体力、2に体力。自己主張せず命ずるままに動く将棋の歩。飛車角の動きは理屈も難しく、数だけに意味をもつ歩が要であった。死ぬことだけが任務の歩兵。おそらく、ラジオ体操が普及しなければ、体育会系の組織も生まれることはなかったに違いない。体育会系の醜さは、お国のために死ぬことを強いる軍隊の醜悪さである。

★★★戦争の仕方が、兵士の殴り合いから、航空戦力、核兵器の装備力へと変化するとともに、理想の兵士像も変わらざるを得ない。核兵器が禁断の武器となり、今後の戦争はA I、衛星TV、大型画面、自動運転車輌、バルーン等の科学技術兵器ともなれば、筋肉ムキムキマンは邪魔にすらなる。TVゲーム操作に長けたオタク族こそこれからの兵士に相応しい。高校大学のサークル活動で体育会系が忌避される理由がここにある。

★★★これからの戦争で、兵士に体力は必要がなくなるとして、もう一つの課題が(知らない人を殺す)ことへの拒否反応。人は本来、他者を殺すことへの罪悪感、それ以上に恐れを抱くもの、だと思う。それが、小泉による自衛隊の海外派兵、あほシンゾウの登場以来、侵略戦争でアジアの人を虐殺したニホン人のDNAが隠ぺいされ、他者を殺すことの恐れが忘れ去られた。

★★★またぞろ、「誰でもいいから、人を殺したかった」若者たちが新聞記事に登場する。これを、ぼくはあほ心臓病と名づけるのだが、いまのこの国が抱える時代病、社会的病気である。生まれてくる時点で1000万円近い借金を背負わせられた子どもたちは、その分、他人のツケで飲み食いし、奢侈したろくでもない大人がいた結果であり、(いずれ数年で俺たち死んじゃうから)とほざく大人たちのせいである。

★★★ラジオ体操に洗脳され、体育会系精神の上意下達で、自己主張を内に閉じ込め、戦後民主主義とバブル経済を享受した大人世代が、TVゲームのように、「誰でもいいから」DNAを課題な債務とともに、若者世代に残して、まもなく死んで行く。勝手なもんだ。しかし、これも体育会系精神の醜悪さというものさ!でも、なんだな、先の衆院選で、維新を伸ばした若者たちの政治意志とは、体育会系そのもの。ファシズム政党を容認する精神は、上意下達型、自己主張なしのあほ心臓病と違いがない。

★★★生命とは、(絶え間ない電子の流れ)なのだそうだ。死ぬまでは、微粒子が電子を引き寄せ、何がなんでも生きようと足掻く。生きている間は死なないし、エネルギーを喪えば死ぬだけ。死は恐れるべきものなのだろう。近く、マトリクスの最新版が上映される。プラグを脳、筋肉に装着され、エネルギーを搾取される。搾取される人間は誰でもいい。何やら、この映画はあほ心臓病を大型スクリーンに写し出す作品に思えてくる。