いずこから来ていずこに去る | 労人社のブログ

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戦中日記(続労人社だより)180115号
   「いずこから来て、いずこに去る」
    在来種のニホン人的精神性を表すとすれば、(ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず)の言葉に収れんする気がしている。諦念やある種の第三者性=非主体性、自然に対する親和性、等々この文章の中にすべて込められている。公家から武家へと時の権力が移行し、地震、火災、戦乱などが続く(末法)の世に、相手の讒謗、背信で出世を妨げられたインテリのつぶやきである。
    この導入部については、誰でも高校の古文の授業で習うから覚えてしまったが、方丈記の味わいは、むしろ(知らず、生まれ死ぬる人何方より来たりて、何方へか去る。また知らず、仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主と栖と無情を争うさま、いわばアサガオの露に異らず。あるいは露落ちて花残れり。残るといえども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕を待つ事なし)であろう。無常観と評されるやつだ。アサガオと露が、生きている人間が決して目にすることのない膨張宇宙の様と同じ位相で把握されている。
    宇宙の無常を無情と取り違えたのが、かのあほシンゾウか?平昌五輪への出席を、単に(お気に召さない)とて嫌がった。スポーツの政治利用は、政策、理念の破産をおし隠すフェイクであるのは明らかだが、韓半島の和平?の動きをわざわざ撹乱を策する行為は、(心穏やか)を期する在来種のニホン人的心性に反する。そもそも、韓半島の祖国を2つに分けてしまったのは、アメリカ、中国そしてニホン国家だ。韓半島に永らく居住する民族が統一合流を目指すのは自然な川の流れのようなものだ。ニホン人には流れに逆らう叛逆の心性は乏しい。〜でなければ、憲政史上最悪最低、最凶の政権がのさばるはずがない〜
    さて、地球上の自然現象の中にはポロロッカとか海嘯とか言われる潮流の逆流現象が出現する。星々の運行や熱伝導、空気の流れなど様々な要因が錯綜して生じる自然現象らしい。実際にこれを見た人によると、潮の高さや速さは驚くばかりだ、そうだが宇宙の、自然の時計から見れば一瞬の出来事であって、川はいつのまにか上流から下流を遡行する穏やかな流れに戻っている。東日本大震災でのツナミも川筋を逆流して周辺の人家に惨禍をもたらしたが、それもあるがままの自然の姿であった。あほたちに未曾有(ミゾウユウ)の事件と見えたのは、ただ原発=核物質という反自然現象がそこに存在したに過ぎない。
   ところで、ぼくは在来種や日本固有のと言った表現が気にいらない。最近、とみに在来種の保護と言った言葉が飛び交っている気がする。ブラックバスやザリガニに食われてニホン固有の在来種が絶滅の危機に瀕している、どうかしなければ!というやつである。もしかしたら、大相撲のモンゴル叩きもこの一環かもしらん?でも、相撲の問題は八百長相撲で外国人力士にあるのではない。話がずれた。でも、ネトウヨどものプロパガンダに象徴されるように、在来種?保護が意図されて、現在のニホン人の心性に差別排外主義を増幅しているのではないか?でなければ、あほシンゾウが平昌五輪の開会式に欠席することを許す国民がタコだ。だって、核が自由自在に振る舞う様を、(アンダーコントロール)と嘘をついてまで、金儲けと延命のために誘致した東京五輪は(平和の祭典)と位置付けられたはずだ。
   ニホン皇軍が中国、韓半島を政治経済、軍事侵略して人民虐殺、慰安婦問題を引き起こしたのは事実だ。我らの爺さん世代が、間違いなく固有種のニホン人が起こした人類的犯罪である。カネを払ったからもうツベコベ言うな!とは、さらにむかしの在来種のニホン人は言わないと思う。鴨長明が生きた時代のニホン人的心性は、世を物象を、あるがままに受け入れる。天災に慄き、戦乱に驚き、そのことに嘆き悲しみ、感動してよろこぶ。さらには、謝罪もするだろう。そして、時が、川の流れが思いを忘れさせ?変わっていく。いつかは韓半島や中国の人たちと普通に語り合える時が来る。ことさら、美しい国を作ろう、などと怒鳴る必要はない。露を抱くアサガオが美しく、膨張を続ける宇宙が、地球自体が美しい。ニホンなどその地球の一部であり、ニホン国などその一瞬のポロロッカに過ぎないのかもしれないのだから!とすれば、韓半島の和平?の動きを喜び、要らぬお節介をしない方が良い。ニホン国の人はいまの世の中をあるがままに見て、これまでこの地で生きた人がどこから来て、どこに逝ったのかの考えるだけで良い。