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労人社だより第16030号
    入試が一巡した途端、受験関連の企業CMが目立ち始めた。業界は(むかし旺文社、いま東進)といったところだが、我々が学生であった頃の旺文社は、東進など目ではなかった。受験雑誌、ラジオ講座、模試、そして赤尾の豆単まで同社が受験産業をほぼ独占していた。この会社、まだ事業を行っているのか?と思ったら、教育総合出版社として立派に生き残っていた。知らぬこととはいえ、誠に失礼しました。
   ただ、受験企業と学生のお付き合いは長くとも3年程度、希望の学校に合格してしまえば思い起こすこともない。だから、いわゆる予備校など流行り廃りが激しいはずで、東進の人気がいつまで続くか?などわかったものではない。その意味で、旺文社がいまなお受験産業の第一線で盛業を保っている~関係者には大きなお世話でしょうが~のが不思議な感じがするのだ。管見にて判断すると、この会社は単なる受験予備校ではなく、出版社として「文化」を売っていた気がする。
   高石ともやによると、夜は悲しや受験生、深夜映画も我慢してラジオ講座を聴いている。受講料ただの受験講座などいまでは考えられない。赤い表紙の豆単も紅衛兵がかざす毛沢東語録と同じで若者たちの必需品であった。ここまで来ると、何やら受験で金儲けをしようというケチな考えではなく、人作り、あるいは新しい文化を根付かそうとしたのではないか?勝手な想像としても、不思議な会社なのだ。
    ここで、第2の不思議が出てくる。ラジオ講座の中で、CMに代わって旺文社文庫のお知らせが入る。受験企業が自社の文庫を持つという発想もすごいが、ラインナップの柱が圧倒的にロシア文学であった。なぜロシア文学なのか?が当時のぼくの第2の疑問であった。実は明治、大正期を通じて日本の若者たちはロシアの文化に親近感を強く感じていた。ロシア民謡や演劇は当時のロシアの影響なくしてありえず、大学の露文は憧れの進学先であった。ドフトエフスキーやトルストイは作品を読まずとも全集だけは本棚に揃えたいと思う世界の文豪中の文豪がおり、その他ツルゲーネフ、ゴーゴリ、チェーホフなどなど著名作家がいれば作品を読んでみたくもなる。読書人の多数がロシア文学こそ最高峰と考えるのは、ロシアの歴史風土が様々な軋轢に揉まれ、その時代の政治と社会の動きを反映した作品であるためだ。その時代の人間、それも民衆の生き方が描かれたためだろう。
   近代におけるロシアの歴史、風土は大枠において日本のそれと重なる。資本主義が台頭した欧州からみたロシア、日本は近代化の遅れた田舎、つまりアジア的共同体で、国民国家の体をなさず文化とは縁のない国に過ぎない。フランス革命が掲げた自由、平等、博愛こそが人として生きる理想であり、ロシアと日本は欧州社会とは異質ないまだ野蛮がはびこる農村共同体とみられていた。個我意識の確立を急務とした明治、大正期の日本が同じ境遇にあったロシア文学、芸術に親近感を持ったのは時代からして当然のことであったのだ。
    すでに、資本主義が発展して自由が労働搾取の自由でしかない欧州に対して、農奴、小作農を抱えるロシア、日本のインテリア層には平等=社会主義がテーマであった。有島武郎の農地解放もロシアの動きなくしてあり得ず、日本人のメンタリティーには中国の漢字、アイルランド民謡、江戸落語、そしてロシア文学が基盤となっている。それを一言で表現すれば、平等と博愛ということになる。自由を除外したのは、先に書いたように、現在の「自由」が資本家による労働搾取の自由に変質されているからだ。
   いや、平等ですら昨今の格差拡大の前に言葉すら雨散霧氷してしまった。しかし、かつての赤尾の豆単には(敵性用語)に文化をコーティングした平等の意味が書かれていたのではないか?東進の優秀な講師たちが教えるのは敵性用語と競争(自由)でしかない。文化を隠し味としない受験教育企業などあと数年もすれば消えてなくなる可能性がないわけではない。競争のイロハを教えているのだから当たり前か?でも、旺文社ってどうして生き残っているのだろう?すごいね!