先日、友人から忘年会に誘われました。
少し遠い場所だったので、
行くとなると深夜帰りか、もしかしたら一泊。
行こうと思えば行けたし、久しぶりに会いたいなーとも。
でも今回はお断りしました。
受験生が二人いるから……というのも理由ではあるけれど、
その日は塾に行っているし、
私がいなくて困る用事があるわけでもない。
体調のことも少し気にはなったけれど、
それ以上に「今回は行かないほうがいいな」という感覚がありました。
そのとき、ふと不思議に思ったのです。
特別な予定もない、暇と言えば暇な日なのに、
どうして私は「行かない」を選んだんだろう?と。
考えてみて、出てきた答えは意外とシンプルでした。
私の役割は、もしかしたら「待機していること」なんじゃないか、と。
何かが起きるかもしれないし、何も起きないかもしれない。
でも「いる」こと。
話したくなったときに相手になる人がいること。
細かいことでも、気軽に頼める人がいつでもいること。
それだけで、子どもたちの小さなストレスは、
知らないうちに減っているのかも。
そう思ったとき、昔の仕事を思い出しました。
秘書のような仕事をしていた頃のことです。
名前はかっこいいけれど、実態は何でも屋。
24時間365日、連絡がつく状態で「待機」するのが仕事でした。
「新幹線に乗り遅れそう、今すぐ変更して」
「到着時間を先方に伝えてほしい」
分単位で動くボスを、そばにいなくても支える役割。
忙しくて、ストレスの多い人のそばには、
きっとこういう「待機する人」がいるのだと思います。
それの、家庭版。
この仕事は、量も成果もとても測りにくいです。
先回りして準備して、何事もなく一日が終わると、
「今日もスムーズだったね」で終わってしまう。
主婦業も、きっと同じ。
最近話題になった「専業主婦ごっこ」のように、
昼寝してドラマを見ていても、
結果的に何も起きない日だってあるんです。
だから、暇そうに見える。
でも実際は、いつも子どもたちの様子を気にしていて、
今かな、というタイミングで声をかけたり、
遊びに誘ってみたり、
中高生になった今なら、
眠そうなときに話しかけてみたり。
話したそうな空気を感じたら、とことん付き合う。
こどもたちは頑張っているんだから、
私もスマホを見るのをやめて、同じ空気に身を置く。
もちろん無理をしているわけではありません。
寄り添えることが、うれしいから。
ただ、「待機役」というのは、
とても理解されにくいなと思います。
合理性が重視される今の時代では、特に。
でもきっと、
誰の人生にも、誰かのそばに、
こういう存在が必要なんじゃないかなと思います。
今日は何も起きなかった。
それは、
「ちゃんと待機できていた」
という証拠なのかもしれませんね。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます!