今回、私の半生で初めて体験したことです。

・会社から何時間も歩いて帰ったこと、(夜には電車は復旧しました)
・会社が自宅待機を命ずること、(部署により出社はそれぞれでした)
・オフィス街の人達の大多数がマスク姿になること、(空気中に特に影響はありませんでした)
・携帯が一日つながらなかったこと、(関東の連絡先はほとんどが無事でした)
・パン・米・牛乳などの食品、トイレットペーパー、ガソリンが消えたこと、(買占めでした)

今になれば、冷静さを欠いた行動だと感じる部分もあります。

政府の対策本部を始め、関係省庁、機関、企業、災害対策に関わる専門家達、報道関係者、すべてが東京に集中しています。関係する人間が多ければ多いほど、断片的な情報が拡散していきます。人づてにたどれば、誰もが「関係者」につながるでしょう。

東京は情報が早く集まることが利点ですが、逆に不安が大きくなるのかもしれません。

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私の両親は千葉の田舎に住んでいます。どのぐらい田舎かというと、こんな感じ。

港のある町
ねりまねこ・地域猫

そこから徒歩30分の里山に住んでいます。
ねりまねこ・地域猫

地震の当日は電話がつながらず、年老いた両親が怖い思いをしていたら可哀相だと、すごく心配でした。翌日、ようやく電話がつながってみれば、拍子抜けするほど動じていませんでした。

両親の住まいは震災当日は停電しましたが、懐中電灯だけでなく、ランプをいくつも持っているので、灯に不自由はありません。停電になったら、さっさと寝て、夜が明けたら起きるだけです。
田舎の人は、便利なコンビニなどないので、もともと米も食糧も備蓄しています。野菜は畑でとれます。
唯一の情報は、お昼と夕飯に見るNHK。静かな村では、トップシークレットの情報にアクセスできる人なんて誰もいません。

だから迷いも不安もなく、日常と変わらぬ農作業をするだけです。

そもそも、私の両親は昭和一桁世代。
東京大空襲や、生死をさまよう体験をしている人達です。
年齢による悟りかもしれませんが「あるがままを受け入れて生きる」人達です。

都会の脆弱さ・・・というよりも、自分達の脆弱さに気づかされました。
そして、少し力を抜いて、シンプルにおおらかに生きていけたらな~と思うのです。


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