町境の何でだろう?
なぜまちがそのような形になったのか?なぜそこで境界線が引かれたのか?を紐解くと様々な要因や歴史が隠されている摩訶不思議な町境。栄町の町境を色々と調査してみよう!
栄町と旭丘との町境を調整?
△踏切までの線路内が旭丘
西武池袋線江古田駅西側の江古田第一踏切までの駅構内を囲うようにした町境は面白い。おそらく現状に合わせて、栄町と旭丘の町境を調整したのかな?と推測している。
浅間神社の旧参道が町境!
△浅間神社の旧参道が町境
また武蔵野鉄道(現西武鉄道)が開通する前は、埼玉道(旭丘銀座商店会の練馬旭丘郵便局のところ)から浅間神社まで長い参道になっていたと聞いたことがある。ちょうど昔の下練馬村と上板橋村の村境が、そのまま旭丘と栄町の町境になっている。
△下練馬分水が町境
また環七通りは栄町に含まれる形で桜台との町境になっている。ちょうど千川上水からの支流である下練馬分水が羽沢方面に流れていたのだ。こんなところにも江戸時代からの名残があるとは!面白い!