防府天満宮 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

5月3日。

下関市で開催された「しものせき海峡まつり」は

大変な賑わいだったようですが、

「人混みはまだ避けたいなあ」という思いもあり、

奥さんの希望で、防府市に行ってきました。

 

 

防府天満宮です。

 

 

 

防府天満宮では、平成25年(2013年)以降、

この時期の参道階段に、花で文字や絵が描かれています。

今年は「幸せます」と書かれました。

 

「幸せます」というのは山口県の方言で、

「~していただけると幸せます」というように使います。

 

 

楼門

 

 

拝殿

国の登録有形文化財です。

 

 

「扶桑菅廟最初」の碑

 

防府は、左遷されて大宰府に向かう菅原道真が、

同族の土師氏と頼って寄港した場所です。

道真が死亡した日には、港に神光が、

酒垂山(現・天神山)に瑞雲が現れたと言われています。

翌904年、酒垂山に道真が祀られ、

「松崎の杜」と名付けました。

それが、現在の防府天満宮です。

 

この由来から、防府天満宮は日本最初の天神さま、

「扶桑菅廟最初」(※)と呼ばれています。

※扶桑=日本、菅廟=菅原道真を祀る所

 

なお、創建後、神社は「防府天満宮」のほか、

「松崎天神」「宮市天満宮」などと呼ばれてきましたが、

明治6年(1873年)に「松崎神社」となり、

昭和28年(1953年)に「防府天満宮」となりました。

 

 

天満宮といえば臥牛。

牛は天神さま(道真)の遣いと言われています。

 

 

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初めて見ましたが、各地にあるようですね。

 

 

春風楼

1822年、長州藩第10代藩主・毛利斉煕が

五重塔を建てようとしたものの、財政上の問題により断念。

そのまま途中で完成とした建物だそうです。

国の登録有形文化財です。

 

 

長州藩の財政再建に努め、防府の産業振興を図った、

長州藩第7第藩主・毛利重就の像。
ちなみに、長州藩主就任前は、

長府藩主(第8代・毛利匡敬)でした。

 

 

高杉晋作らを支えた勤皇家・野村望東尼の像。

望東尼は1867年、防府天満宮で、

討幕軍の戦勝を祈願したそうです。

 

 

摂末社の酒垂神社。

1195年、天満宮の社殿工事の際、

岩の間から湧き出る清水が酒に変わったという

故事に由来します。

酒樽型の賽銭箱がユニーク。

 

防府天満宮の場所は↓こちらです。