下関市豊田町殿敷。
県道34号下関長門線を豊田町中心部から長門方面に
向かう途中にある「豊田氏菩提所知行寺跡」の碑です。
南北朝時代の14世紀半ば、
防長の三大豪族の1つである豊田氏の第13代当主・種藤は、
大内氏(第24代当主・弘世)が勢力を伸ばしていく中、
現在の長正司公園の地に長正司城(長生寺城)を築き、
居館をそこから600mほどの距離にある向山に移しました。
そして、近くに菩提寺として、知行寺を建てました。
碑の前の路面が知行寺の跡地に当たり、
種藤以下、第14代・種秀、第15代・種長、第16代・儀種、
第17代・弘種、第18代・興種、第19代・種貞、
そして、末代の第20代・房種までの墓があったそうです。
付近には、15世紀後半に大内氏が開設した
肥中街道も通っていたそうです。
場所は↓こちらです。