吉見公民館から吉見里町の中を通る道沿いに
建てられている庚申塚です。
庚申塚は、江戸時代に隆盛を極めた庚申信仰に由来します。
庚申講(庚申待ち)を3年18回行った記念に
建立されることが多いそうです。
中国の道教では、人間の体内には三尸(さんし)という虫がおり、
その虫が、庚申(かのえさる)の日の夜、
寝ている間に体内を出、天帝にその人間の悪事を
報告に行くと考えられていました。
「庚申待ち」とは、三尸が身体から出ていかないように、
庚申の日に徹夜で神仏を祀る行事のことで、
「庚申講」とは、そのための集まりのことだそうです。
明治政府は庚申信仰を迷信だとして、庚申塚の撤去を進めました。
戦後の開発において失われた庚申塚も数多くあったようです。
しかし、こうしで現存しているものも多数あります。
場所は↓こちらです。