山陽本線厚狭~馬関(現下関)間開業120周年記念乗車券・入場券 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

去る令和3年(2021年)5月27日は、

JR山陽本線・厚狭~馬関(現下関)間の

開業120周年だったそうです。

 

 

その記念乗車券・入場券を購入しました。

限定1500セットで、JR下関駅・新下関駅・厚狭駅で販売。

ねりえは夕方下関駅で購入しました。

厚狭駅以外は翌日も残っていたようですね。

 

 

 

 

裏面に描かれた120周年記念列車のヘッドマーク。

新型コロナウイルスの影響で、運行中止となったそうです。

 

JR山陽本線は、明治21年(1888年)に、山陽鉄道として開通。
当初は、兵庫駅と明石駅の間でしたが、次第に延伸され、
120年前の明治34年(1901年)5月27日に、下関まで延伸。
厚狭駅以西の、埴生駅・小月駅・長府駅・一ノ宮駅(現・新下関駅)・

幡生駅・馬関駅(現・下関駅)が開業し、
神戸駅から、関門海峡に臨む馬関駅までが全通しました。

この時、馬関駅は現在の細江町駐車場の辺りに、
一ノ宮駅は住吉神社の近くにありました。
幡生駅も現在地とは若干違う場所にあったそうです。
線路が長府駅から関門海峡沿いを通らなかったのは、
軍事拠点である火の山の下を通行しないようにしたことが

一因にあったそうです。
また、長府駅は地元住民の反対もあって、
城下町から離れた場所に設置されたそうです。
観光地である城下町長府に鉄道だけで行けないというのは、

今となっては残念な話です。


なお、馬関駅は、明治35年(1902年)に、
赤間関市が下関市へ市名を変更することに併せて、下関駅に改称。
一ノ宮駅は、全国に同名の駅が4駅あったため、
大正5年(1916年)に長門一ノ宮駅に、
更に、昭和50年(1975年)の山陽新幹線の乗り入れに伴い、
新下関駅に改称されました。

路線は、明治39年(1906年)に国有化され、
明治42年(1909年)に名称が山陽本線となりました。
昭和3年(1928年)に経路が変更され、
長門一ノ宮駅と幡生駅が現在地に移転。
更に、昭和17年(1942年)の関門トンネル開通により、
路線が門司駅まで延伸。
下関駅が現在地に移転しました。

昭和62年(1987年)の国鉄民営化後は、
神戸駅-下関駅がJR西日本、
下関駅-門司駅がJR九州の管轄となっています。