招魂碑(粟野八幡宮) | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

 

粟野八幡宮の隣にある招魂社です。

西南戦争~太平洋戦争で命を落とした英霊が祀られています。

 

 

招魂社の隣に建てられている招魂碑です。
題字は、当時の靖国神社宮司・筑波藤麿が揮毫しています。

 

筑波藤麿は、山階宮家第2代当主・菊麿王の第三王子。

当時の皇族男子は軍人になるのが通例でしたが、

身体が弱かったため軍人の道には進めませんでした。

昭和2年(1927年)に東京帝国大学を卒業。

翌年臣籍降下し、「藤麿王」から「筑波藤麿」になりました。

戦時中は、多くの華族が食料を闇で調達する中、

軍人にならなかった負い目から、

配給と自作の野菜のみで過ごしました。

戦後、昭和21年(1946年)に靖国神社宮司となり、

昭和53年(1978年)に死亡するまで、その任に当たりました。

 

背面には、戦没者の名前が記されています。

 

場所は↓こちらです。