貞恒バス停の近くにある庚申塚です。
「文政二年」と記されていますので、
1819年に建てられたものです。
もう1つ「基之」という文字も刻まれているのですが、
これが何なのかは確認できておりません。
下関市東部に位置する吉田地区は、
かつての山陽道と赤間関街道中道筋との分岐点に当たり、
江戸時代には宿場町として賑わいを見せていたそうです。
この辺りは山陽道から分岐した
赤間関街道中道筋が通っていた場所で、
萩と下関との間を移動する、数多くの人が通った場所でした。
きっと、高杉晋作もこの庚申塚の前を通ったことでしょう。
場所はこちらです。