下関市豊北町の県道39号粟野二見線沿い。
粟野峠を、豊北町滝部と豊北町粟野の境目から、
粟野にちょっと入ったところに建てられてる
「乃木大将思案之茶屋址」の碑です。
明治31年(1898年)、前年に台湾総督を辞し、
休職していた乃木希典は、
地元長府町(現・下関市長府)の町民に招かれて帰省。
数日後、祖先の墓参のため、島根県出雲へ向かいました。
粟野村(現・豊北町粟野)は、その道中に当たります。
希典の親友・桂弥一より、粟野村長・木本重助に
希典来村の連絡があり、
村民は希典歓迎の準備を始めました。
しかし、希典が滝部村(現・豊北町滝部)を通過して
当地に到着したのは、夕刻になってからのことでした。
希典は当地にあった茶屋を営む老女より、
「村民が朝から村境まで出迎えに来ていたが、
『今日は来ない』と先程帰ってしまった」旨の話を聞き、
しばらく思案した上で、滝部に引き返して宿泊しました。
そして、翌日、希典は粟野を訪れ、
村民の歓迎を受けたとのことです。
碑は昭和9年(1934年)に建てられたそうです。
ただし、碑文を刻んだ金属製の板は、
昭和51年(1976年)に設置されました。
碑文は弥一の秘書であった内田要助が手掛けています。
それ以前に碑文を刻んでいた板は失われていたそうですが、
戦時中の金属供出に出されたと思われます。
碑のある場所には昨年11月中旬に訪問しましたが、
紅葉が綺麗でした(^∇^)
場所はこちらです。