下関市長府にある忌宮神社。
先日ご紹介した「豊浦皇居趾」の碑の背後にある建物です。
「豊浦皇居趾」の碑の向かって左隣にある碑です。
この建物は集童場場長室だった建物。
碑には「集童場々長室」と記されています。
集童場は「長府の松下村塾」とも言われた学校です。
1862年に福田扇馬が開いた私塾・桜柳亭を母体として、
1864年に熊野則之らにより開設されました。
10歳から15歳の少年たちが身分に関係なく学ぶ場所で、
明治2年(1869年)に藩校・敬業館に
併合されるまで存続しましたが、
その間、桂弥一、瀧川辨三、乃木希典、服部潜蔵など、
数多くの逸材を育成しています。
また、1865年には、長州藩諸隊の1つである報国隊が
直介らにより結成されておりますが、希典を筆頭に、
集童場で学んでいた少年16人が、それに入隊しています。
建物は昭和3年(1928年)に現在地に移築、
碑もその際に建てられたものです。
題字の揮毫は、集童場の門下生で、
長府町長などを歴任した原田政佳によります。
政佳が建物を所有者・伊藤豊熊より譲り受け、
当時の長府町に寄贈したのだそうです。
碑の場所はこちらです。