先日もお話ししたのですが、
近現代下関の俳人には、医師が多い気がします。
下関特有の傾向なのか、
全国的にそうなのかは分かりません。
覚苑寺入口近くにある、雑賀以空の句碑です。
彼もまた、俳人であり医師でもありました。
「而して 桜は塵と なりにけり」
雑賀以空は、明治時代から昭和前期に活動した俳人。
都々逸や小唄を詠む時は
「喃亭骨茶」(なんてこっちゃ)と名乗ったそうです。
碑は昭和10年(1935年)に建てられましたが、
当初、官憲がそれを認めず、
裏面にあった文字をセメントで塗りつぶすことで、
建立することができたということです。
この碑が生前に建てられたことが理由のようなのですが、
内容が適切でないということだったのでしょうか?
場所はこちらです。