下関市は多くの歴史の舞台となってきたため、
ゆかりの偉人もたくさんいるわけですが、
その中でも、長府藩出身の英傑と言って、
その筆頭に挙げられるのは、乃木希典だと思います。
下関市長府・覚苑寺にある乃木希典の像です。
像だけで約3.3mもあります。
ある時のことです。
時の住職・進藤端堂は、修学旅行生が、
「乃木希典の故郷であるのに、長府にはその銅像すらない」といった
話をしているのを聞いて、一念発起。
7年間に渡る「一人一銭百万托鉢」の結果、
昭和14年(1939年)、ついに像を建立しました。
像の原型は、希典の甥で彫刻家の長谷川栄作が作成しています。
しかし、その像は昭和18年(1943年)に、
金属供出されてしまいます。
その後、像が再建されたのは、昭和33年(1958年)のことです。
像の原型が戦火を逃れており、
再び使用することができたのだそうです。
台座には、希典の歌が記されています。
「武士は 玉も黄金も なにかせむ
いのちにかへて 名こそをしけれ」
像再建前は
「大君の 御盾にならん 身にしあれば
みがかさらめや 日本こころを」
という歌が記されていたそうです。
場所はこちらです。