下関市豊田町。
神上寺の門前にある「近松門左衛門生誕之地」の碑です。
江戸時代の浄瑠璃・歌舞伎脚本作者である近松門左衛門は
越前国(福井県)の出身とされていますが、
彼自身がその出自を語ることがなかったため、
他にも複数の説があります。
その中に、長州の出身とする説があり、
長州の中でも、萩、長門、下関の各地で出生説があります。
しかも、下関市内には、
生誕の地と言われる場所が2箇所あります。
1つは内日で、そして、もう1つが、本日ご紹介する豊田町です。
豊田説でも内日説でも、また、長門(深川)説でも、
門左衛門の父親は、長府毛利藩家老・椙森元周の子・広品
(後に家督相続)と言われています。
広品が13~15歳位の頃、
女中との間に設けた子が門左衛門だということです。
不義の子であるため、
女中は椙森家の屋敷で子を生むことができなかったのですが、
女中がその子をどこで産んだのかという点で説が分かれます。
豊田説では、その女中が神上寺を頼ってきたものの、
女人禁制のため寺でかくまうことができず、
寺侍の木川家がその対応を任されます。
木川家が家の前に小屋を造り、女中はそこで出産。
その子が後の門左衛門であるという説となっています。
その小屋があったとされる場所が、現在石碑のある場所で、
かつては「近松屋敷」と呼ばれていたそうです。
碑は平成4年(1992年)の建立。
副碑には、下関市在住の直木賞作家・古川薫氏の撰文による
碑文が記されています。
場所はこちらです。