下関市内日。
田屋口バス停から県道34号下関長門線に抜ける
道路沿いにある碑です。
村田家は代々医師であった家系で、
人々に学問を教えていたそうです。
碑文には、村田玄益、渉庵、文喜、耕造4人の名がありますが、
それ以前の代の村田玄林が、
既に人々に学問を教えていたそうです。
18世紀の後半、江戸時代後期の話です。
碑は、耕造が存命中だった
明治28年(1895年)に建てられました。
碑の側面には
「後世の 人のかがみや 紀念塚」と記されています。
記した人物の名も書かれているようですが、
確認できておりません。
場所はこちらです。