ALFRED COROTOT(アルフレッド・コルトー) | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に

 

 

下関市豊浦町川棚。

下関市川棚温泉交流センター「川棚の杜」の裏手、

まちなか広場「杜の広場」に建つ、アルフレッド・コルトーの像です。

 

 

コルトーは、20世紀前半のフランスを代表する

世界的ピアニストの1人です。

独特の演奏で知られ、また、指揮者としても活動、

音楽教育にも熱心に取り組んでいます。

 

そして、川棚の景色に魅了された1人でもあります。

 

 

昭和27年(1952年)、来日したコルトーは、

全国各地で公演を行いました。

山口県では宇部と下関で公演を行いましたが、

その際に川棚温泉に滞在しました。

 

既に70代も半ばを迎えていたコルトーは川棚の景色に感激し、

日本を「ブレ・ペイ(本当の国)」と絶賛。

特に厚島を気に入り、当時の川棚村長に、

「天国のようなあの島で死にたい。島を買い取りたい」と申し出ます。

 

村長は、永住するのであれば無償で提供することを約束。

コルトーは喜び、「私の思いはひとりあの島に残るだろう」と

言ったそうです。

そして、島の名前を「孤留島(コルトー)」とすることも提案され、

コルトーは大変感動したとのことです。

 

 

その厚島(孤留島)が、一昨日ご紹介した、

響灘厚島展望公園から望む写真の

 

 

この島です。

 

「厚島」とは、男島、女島、竜宮島、石島の4島の総称です。

それが、響灘厚島展望公園から見ると、1つの島に見えます。

この展望公園から見る厚島が、最も美しいと言われているそうです。

 

 

さて、帰国後もコルトーは、「日本に自分の名前の島がある」と語り、

「孤留島」と彫られた印を手紙に押すほどだったそうですが、

結局、再来日の夢は叶わず、10年後、彼は息を引き取ります。

 

 

それから時は流れ……。

 

 

平成15年(2003年)、

コルトーがパリに設立したエコール・ノルマル音楽院より、

川棚のホテルに問い合わせがありました。

音楽院は、コルトー没後40周年記念事業として、

「カワタナにある夢の島」を探していたのです。

 

そして、これを機に、川棚を愛したコルトーの姿が

再び脚光を浴びるに至ったのです。

 

 

平成22年(2010年)、

コルトーが滞在したホテルの跡地に川棚の杜が完成。

大交流室は「コルトーホール」と名付けられました。

 

そして、平成24年(2012年)に建てられたのが、この銅像です。

 

 

コルトーが川棚に滞在していた時、

川棚村長は記念碑の碑文の揮毫をコルトーに依頼し、

彼もそれを書いていたのですが、

記念碑が建てられないまま60年が経過していました。

 

没後50年、来日公演60周年を記念するシンポジウムが行われた際、

コルトーホールの前、厚島を望む向きに

この像が建てらてたのです。

 

 

場所はこちらです。