昨日に引き続き、
下関の難読地名をご紹介したいと思います(^∇^)
今日は彦島地区編ですp(^-^)q
その1
地名:海士郷
読み:あまのごう
この地に住んでいた「海部」氏に由来し、
元々「天川(あまかわ)」と呼ばれていたそうです。
また、「彦炎出見尊(ひこほほでのみこと)」という神様が、
誤って海に落ちた兄の釣り針を探しに降りてきて
「海士」となった土地であるという民話があるそうです。
「彦炎出見尊」の名前から「彦島」の名が付いたとされています。
「山幸彦と海幸彦」に似ていますが、それもそのはずで、
「彦炎出見尊」というのは、「山幸彦」の別名です。
なお、「彦島」は『日本書紀』で「引島」と記されているそうです。
その後は「引島」と記されたり「彦島」と記されたりしてきたようです。
「引島」という島名については、
かつて本土側の伊崎と陸続きだった彦島が、
潮の流れによって離れてしまったものの、
伊崎の岬が彦島を引っ張っているようであるため、
「引島」と呼ぶようになったという伝説があるそうです。
幕末の攘夷戦の時期に砲台を作った際
(または、壇之浦の戦いの際)、
「引く」というのは縁起が良くないからと、
「彦島」になったという説もあります。
その2
地名:弟子待
読み:でしまつ
元々「勅旨田(てしまち)」だったそうです。
それが、かの巌流島の決闘の時、
小倉から船に乗った佐々木小次郎を
弟子が別の船で追ったものの、
小次郎に引き返すように命じられて
仕方なく船を着けたのがこの地で、
そこから「弟子待」と記されるようになったという説があります。
その3
地名:南風泊
読み:はえどまり
ふぐ(下関では、縁起を担いで「ふく」と呼びます。)専門の
卸売市場「南風泊市場」の名前も有名です。
帆船が下関港に入港するには
南風(はえ)を避けなければならず、
その風待ちをしていた場所であることに由来するそうです。
その4
地名:六連島
読み:むつれじま
日本海に浮かぶ離島です。
6つの島が連なっていることに由来するという説がありますが、
現在、周囲に6つも島はないように見えます。
また、住民が土地を6等分したことに由来するという説もあります。
次回へ続きます(^-^)ノ~~