「下関市立近代先人顕彰館 田中絹代ぶんか館」です。
大正13年(1924年)に
逓信省下関電信局電話課庁舎として建てられました。
昭和44年(1969年)に下関市の所有となり、
昭和51年(1976年)には市庁舎第一別館となりましたが、
建物の老朽化により、平成3年(1991年)に空き家となり、
その後、解体する方針となりました。
しかし、保存を要望する声を受けて再活用の運びとなり、
平成22年(2010年)に、日本初の単独女優記念館
「田中絹代ぶんか館」として生まれ変わったのです。
一方、昭和を彩った大女優・田中絹代は、
明治42年(1909年)、下関に生まれました。
田中絹代ぶんか館(逓信省下関電信局電話課庁舎)が建てられた
大正13年(1924年)に、14歳でデビュー。
その後、67歳で死去するまでの間に、
約250本の映画に出演しました。
昭和50年(1975年)には、
ベルリン国際映画祭銀熊賞(最優秀女優賞)も受賞しています。
また、女優として日本初の映画監督でもあり、
6作品を発表しています。
現在、毎日映画コンクールには「田中絹代賞」が設けられています。
その田中絹代ぶんか館の玄関脇に建てられている
田中絹代のモニュメントです。
生前、彼女が好んで使ったフレーズが記されています。
「花 清く 美しく」
場所はこちらです。