何度かお話ししていることですが、
下関の「だんのうら」という地名は、
戦いの名前としては「壇ノ浦」と書くことが多いかと思いますが、
現在の地名では「壇之浦」です。
また、最近の歴史の授業では、「壇の浦」とも教わるようですね。
ちょっと整理してみます。
(1)壇ノ浦
・Wikipediaでは「だんのうらの戦い」「だんのうら」いずれも
「壇ノ浦」と表記されています。
・ねりえが学生の頃は、「だんのうらの戦い」の「だんのうら」は
「壇ノ浦」と教わっていた……と思います(;^_^A
(2)壇之浦
・下関市の地名は「壇之浦町」です。
・現地にある案内板にも「壇之浦古戦場」と記されています。
・下関で刊行された書籍などでは、戦いの名前としても
「壇之浦」を用いている場合も多く見受けられます。
・ただ、下関であっても、「壇ノ浦の戦い」と記すこともありますし、
地名(地域名)として「壇ノ浦」と表記することもあります。
(3)壇の浦
・最近の歴史の授業では「壇の浦」と教わることも多いようです。
・「壇の浦古戦場址 」の碑では、「壇の浦」と記されています。
(4)壇浦
・「壇浦砲台旧址 」の碑では、「壇浦」と記されています。
・「壇浦兜軍記」という歌舞伎の演目があります。
・ただ、「だんのうら砲台」の表記については、
「壇ノ浦砲台」「壇之浦砲台」と記されたものも見受けられます。
そして、この「“だんのうら”の“の”論争」(ねりえ命名)に
一石を投じる表記が↓こちら。
「壇乃浦」!!( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚
でも、昔の絵図で「壇乃浦」という表記は確かに出てくるようなんです。
神楽の中に「壇乃浦」という舞もあるそうなんです。
ちなみに言えば、「壇」の字の右上、
「なべぶた」に「回」の部分が「面」になっているように見えますが、
この表記についても、絵図で確認されました。
なお、Googleで、ダブルクォーテーションマーク付きで検索したところ、
・壇ノ浦:375,000件
・壇之浦:141,000件
・壇の浦:65,600件
・壇浦:44,900件
・壇乃浦:908件
でした。
で、この論争の結論ですが、
今後このブログでは、碑の名称等を除いては、
地名も戦いの名称も全て
「壇之浦」で統一することにしたいと思います。
どれも誤りというほどではないようなので、
地名に揃えることにしましたm(_ _ )m
あ、「壇乃浦」と記されている碑については、次回ご紹介します(^^ゞ