興安丸の錨 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に




消防局の前に設置されている

関釜連絡船・興安丸の錨です。



関釜航路の歴史は古く、

明治38年(1905年)に日本初の定期航路として

関釜連絡船・壱岐丸が就航したのが始まりです。



興安丸は、昭和12年(1937年)に就航。

「玄海の女王」と呼ばれ、

世界屈指の性能を持つ客船でした。


終戦後は、長門仙崎~釜山間の引揚船となり、

昭和22年(1947年)に昭和天皇が下関で宿泊された時には、

下関に宿泊施設がなかったことから、宿舎にもなりました。


その後、朝鮮戦争時の国連軍輸送に従事したほか、

中国・ソ連から舞鶴への引揚船、東京湾遊覧船、

更には、イスラム教巡礼船、インドネシア国内航路、

北ベトナムから東京への引揚船としても使用されました。



この錨は、国民宿舎海関荘(現・海峡ビューしものせき)の

玄関横に設置されていましたが、

平成16年(2004年)に、現在地に移設されています。



場所はこちら です。



興安丸の錨は広島県三原市にもあるそうです。