伊藤博文公夫妻史蹟 梅子夫人の実家跡 | ねりえ日和

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本州の西の端・下関から 石碑やモニュメントを中心に



下関商工会議所向かいの寿公園から酉谷寺に向かう左手、

マンションの壁に接して建てられている碑です。


当初「伊藤梅子の碑が酉谷寺の近くにある」とだけ

情報を得て探したのですが、

この情報だけでは見つけることができませんでした(^^ゞ



梅子が博文と出会ったのは慶応元年(1865年)の

亀山八幡宮でのこと。

刺客に追われていた博文を、

境内内の茶店でお茶子をしていた梅子がかくまったのが

出会いだと言われています。


その後、梅子は父の借金のかたに身売りされ、

芸者見習いとなります。

梅子は既に博文の子を身ごもっており、

博文は当時の妻と離婚する条件で、彼女を身請けしたそうです。


博文と結婚した梅子は夫を支え、

木戸孝允夫人・松子と並んで「良妻賢母」とたたえられます。

博文はひどく女遊びが激しかったそうですが、

梅子は夫の女性関係には口を出さなかったそうで、

むしろ、芸者たちが帰る際には玄関まで見送り、

お土産を持たせていたそうです。



ちなみに。


大河ドラマ「花燃ゆ」に梅子が登場するかは不明ですが、

博文の前妻は既に登場しています。

ネタバレになるかもしれないので、

それが誰なのかはここではナイショにしておきますo(^-^)o



場所はこちら です。