MIYUKI&KAMIOのつぶやきと陶芸のブログ -21ページ目

MIYUKI&KAMIOのつぶやきと陶芸のブログ

陶芸家の夫である尾形香三夫は、2022年に他界しましたが、タイトルをそのままにして、今後も夫婦の思い出を交えて、書いていきたいと思います。

 

今朝は室内の温度が13℃で、朝晩の冷え込みと日中との寒暖差が激しくなってきました。

 

10月11日~14日まで開催されていた「尾形香三夫追悼展」が無事、盛況に終える事が出来、来て頂いた人たち、そして企画運営してくれた新篠津村教育委員会には心から感謝いたします。

 

 

私の今年最大のビッグイベントであったこの展覧会では、特別企画(後ほど詳しく紹介します)も用意され、4日間という短い期間ではありましたが、盛り沢山の内容となりました。

 

この短期間に私は梱包と開梱を激しく情熱的に繰り返し、今現在燃え尽き症候群的な状態です。

 

会場となった新篠津村自治センターの大ホールは、ステージが備わった広い場所ですが、パーテーションで区切り展示会場が作られていました。

 

北海道新聞の取材も入り、その中の一つは地域版だけではなく札幌圏にも載せて頂いた関係で、村外の陶芸ファンの方たちにも沢山来て頂く事が出来ました。

 

そして今回、今までの回顧展と大きく異なるのは、最終日に用意された「特別企画」です。

 

私が所属するオカリナ教室「カナリアの会」(北広島市)によるオカリナアンサンブルの演奏。
私は今回ほどオカリナを練習したことはありませんでした。アンサンブルの練習も最近やり始めたばかりだったので、緊張しました!
でも演奏後、「癒された」「胸に沁みた」等々の感想を聞いた時、やって良かったと思いました。

 

 

 

そして、新篠津村がもっとも力を入れていたHEREの凱旋ライブ。
「凱旋」と銘打っただけ、かなり力を入れてくれました。

 

小学校からの同級生が、中学校で初めてバンドを組み、高校を卒業してから、兼ねてから計画していた通り東京に行ってライブ活動を始めました。

 

あれから25年の月日が経ち、初めて自分たちの故郷、新篠津村で自分たちのロックを披露する事が出来ました。

 

HEREは、途中でバンド名を変え(出発はインビシルマンズデスベッドという舌を噛みそうなバンド名でした)、コロナ禍でも生き延びてきました。

 

DIYバンドと自らが言っているように、メジャーに入ることなく、スケジュール管理、音源作り、販売、宣伝を全て自分たちだけでやってのけています。(時には必要な弁当や飲み物を買いに走る事もあります笑)

 

そのお陰でしょうか?この世界で生きていく術を身に付け、時にはしたたかに、時折襲う危機を乗り越えてきました。

 

(アンコールで「東京独白」を歌う?叫ぶ?回帰)

 

会場を作ってくれたミュージックプレイスのお陰で、あの新篠津自治センターが見事にライブ会場に変身しました。
音響だけではなく、ライトまで完璧な仕上がりとなっていました。

今回初めてHEREのリハーサルを見たのですが、人の入っていない空間での音の凄い事に改めてビックリ。

多分、親に連れられて子供も来るだろうし、ましてや今まで一度もライブハウスに行った事が無いという人たちやご老人も沢山来る事が想定されたので、急きょ教育委員会に頼んで、耳栓を用意してもらいました。

 

(ミュージックプレイスによる会場作り)

(HEREのリハーサル)

(展示場とライブ会場の仕切り壁が外された)

 

 

この様に準備万端で行われました。

HEREは独自に「新篠津ツアー」を組み、東京のファンを新篠津村へと連れてきました。

ファンの人たちは、曲に合わせて体を動かし、ペンライトを振り、HEREを盛り上げてくれました。

 

嬉しかったのは、ライブ後村民との会話で、「新篠津はいい所ですね、もっといたいです」とか、「このような村であの作品が生まれたんですね」とか、村をとても好意的に見てくれた事です。

 

また逆に、遠くから来られたファンを見て、みんな優しい子ばかりだね、礼儀正しいね、と、派手で爆音で激しいロックからイメージしやすいタイプとは違う、フレンドリーなファンの人たちの振る舞いに対しての感想に嬉しくなりました。

 

私にとっては第二の故郷、子どもにとっては故郷そのもの。

ここでしか感じる事の出来ない、というかここだからこそ感じる、胸が一杯になる感覚、そしていつしか大事な思い出になるだろう最高の追悼展でした。

 

皆さんありがとうございました。