「世界中みんなで」

「誰一人として見捨てない」

「全員を救う」

…という美辞麗句に騙されちゃダメですよ。


何ちゃらワクチンなるものを打ちました…と。

”仮に”

接種者の体調に不可逆的な被害を与えたり、

継続的に不調にする”何か”があった時、

一体どうするんですかね。

人という”種”自体に損害を与えるってことですよ?

子供が考えたってわかりそうですが。


長期的にすべての人間が

「そう」なったとして、

得をするのは誰ですか。


普通の人々は、

社会の”空気”への配慮を迫られます。

会社で働き生活費を稼がなくてはいけない。

日々の生活、買い物や子供の学校のため、

公共サービスも利用しなければいけない。

周囲に睨まれないようしなければいけません。


でも”みんな”に含まれない、

そうしなくても良いお金持ちは、

別に打たなくても構いません。

他人にさせれば良いんですから。


”みんな”がそろって体調不良になれば、

将来期待できる医薬品関係の利益は、

想像を絶するものになりますね。

不調を補う”何か”を、

「普通のこと」にすることもできますね。


今現在、誰も何も疑わず、

「良いことだ」と信じて、

打ち続けている毎年の諸ワクチンのように。


でも”みんな”でやってしまったら。

物事を調べる術はなくなります。

”比較実験”ができなくなるから。


例外なく何かをしてしまう…ということは、

比較できなくするということ。

物事の「検証をさせない」ということです。


それを必死で法制化しようとしている人々が、

世界中にいるのは何故ですかね?


あなたに勧めた人々は、

本当に接種していますか?

「どう」責任を取ってくれるんですか?


その時のテンプレートはこうです。

「この事態は想定できなかった」

「当時は仕方なかった」

「強制はしていない」

「自己責任で協力いただいた」

「私は一人でも多く供給する為に辞退した」

「一人でも多く救済することが責任を果たすこと…」

などなど。いくらでも出てきます。

まぁ、歴史はこのコントの繰り返しですからね。


民衆の多くは、

社会の物事や出来事を、

イメージで認識するものです。


子供たち、

イメージではなく数字で見るべきです。

その「何か」は本当にそうだったのか。

本当に必要だったのか。

誰が損をして、誰が得をしたのか。

ちゃんと見極めると社会が違って見えますよ。