ホテルはリバーサイド | 瞼の裏にネルチンスクの朝焼けを

瞼の裏にネルチンスクの朝焼けを

どうでもいいことを、それっぽく文章に

最近のお気に入りは、東京側の多摩川土手から見る武蔵小杉の夜景である。



何が良いって、周辺には大して高い建物がないくせに、その武蔵小杉周辺だけはにょきにょきと背の高いビルを生やしているところである。半ば強制的に自身の縮尺機能を狂わせることで、まるでマンハッタンの夜景を見ているかのような錯覚に陥らせることができる。



煌々と輝く100万ドルの夜景。聳え立つは天をも貫く摩天楼。視線を落とすと真夜中のハドソンリバーに仄明るく映し出される街の明かり。家路を急ぐためにハイウェイを行く。今日も俺のフォードのエンジンはすこぶる調子がいい。こんな素晴らしい日には神に感謝せずにはいられない。ああ!神よ!今日も良き日をありがとう!



とはいえ、ニューヨークなんぞ行ったこともないので、それはあくまでも僕の想像の中のマンハッタンに過ぎない。あくまでもハドソンリバーは多摩川だし、ハイウェイは丸子橋と綱島街道である。ましてや乗っている車はパッソである。外来種の神の存在なんて信じちゃいない。

海外旅行に行く時間もお金も体力もないので、それらを消費することのない妄想の世界に入り込みながら家に帰るのが、最近の小さな楽しみなのだ。



こうして改めて考えてみると、とてもさもしい日常である。



否、そんな些細な日常の中にこそ幸せは存在するのだ。

そうでなければならない。



先日、帰りに道に環八沿いを走っていると、一台の黒いワンボックスカーに追い越された。それが何の変哲もない車であれば、特にこうして後々思い出すこともなかったのだろう。もちろんそれは何の変哲もない車ではなかったのだ。



追い越される刹那、視界にふと明かりが過る。見遣るとその車の後部窓に車内で流しているのであろう映像が外に向けて流されていた。車に詳しくないので、一体どんな原理でそうなっているのかは分らない。加えて言えば、一体どんな気持ちで外に映像を流しているのかも皆目分らない。



「俺こんなイケてる音楽聞いてるぜ!」

「俺こんなアツイライブ映像持ってるぜ!」



的なノリであろうか。


それとも音漏れ的な発想だろうか。車内で映像を流していたら、外にも見えちゃった的なノリであろうか。

いや、まさかそんなことはあるまい。見えちゃったで済むレベルではない、あれは。



まあ、きっと前者的なノリなんだろう。しかし、こうして外に向けて映像を流している車を見かけるのはそう珍しいことではない。やっぱり車好きは一度は通る道なんだろう。きっとそうなんだろう。車好きではないので分らないが。



しかし、この日見た映像を流す車が流していたのは、単なるイケてる音楽でも、アツイ映像でもなかったのである。










どこかで見たPVである。










やけにカラフルである。











それでいて、ポップである。









間違いない。












AKB48の「ヘビーローテーション」である。












何故、運転手はAKBを流しているのだろうか。

いや、AKBを聴くこと自体は趣味の範疇なので一向に構わないのだが、何故その映像を外に向けて発信しようと思ったのだろうか。常人には理解できない、車の後部窓に映像を映し出すという技術力を持っていながら、何故映像は今を輝くAKBだったのだろうか。

B'zとかビジュアル系とか、その辺が相場な気がしてしまうのは、やはり車の後部窓に映像を映し出す技術力を持たない常人だからだろうか。




そんな謎を僕に植付けながら、黒いワンボックスカーは環八を走り去っていった。







次の日、またしても車で帰らなければならず、僕はパッソで環八を走っていた。



すると一台の黒いワンボックスカーに追い越された。


追い越される刹那、視界にふと明かりが過る。見遣るとその車の後部窓に車内で流しているのであろう映像が外に向けて流されていた。



どこかで見たPVである。


しかし、その日はカラフルでもポップでもなかった。


気になってよくよく見てみる。
















AKB48の「River」である。











間違いない。











奴である。











呆気にとられる僕を尻目に、その日も黒いワンボックスは環八を颯爽と走り抜けていった。

AKBの魅力は、今や走り屋の世界にもその地位を確たるものにしようとしている。












その日、僕が多摩川から遠いマンハッタンに思いを馳せたのは言うまでもない。