連れ合い(Y男)ががんだと診断されて最初に入院した日、私たちは朝10時から病院へ行き、入院の手続きを済ませ、病棟の病室(大部屋)に案内されて、病棟での主治医となる医師グループと初めて対面した。若い男性医師と女性医師の三人で主治医として担当なさるのだという。腫瘍内科の責任者であるD医師は外来の診察があったので、昼過ぎから主治医とD医師と私たちとでこれからの抗がん剤治療についての具体的な説明が行われることになっていた。

 

入院時にはいかないと宣言していた義母が病棟に現れたのは、まだ面会時間にはなっていないが、これから抗がん剤についての説明を始めるという時だった。義母も交えて、病棟の会議室のような部屋で説明が始まった。使用する抗がん剤の種類、効果、副作用、毎日点滴で投与して、それを三週間続けること、いったん退院して三週間ほど置いて再び入院して抗がん剤投与、という風に三回ほど入退院を繰り返すのだということ、抗がん剤は二種類を使用するということ等々、治療についての説明がなされた後、義母が言い出す。

 

Y男は、煙草を吸わないんです。だから、がんになるはずがないんです。今ここで、画像(CTとかMRIとか)を見せてくれないのは、本当はがんではないので見せられないからでしょう。

 

画像に関しては、入院前の最後の診察日に私たちはさんざん見せていただいている。そう、私が言えば角が立つので私は黙っていた。とりあえずその場は終わり、病室に戻った後も、義母は自分がいかに苦労してきたのか、自分がいかに裏切られてきたのか、自分がいかに不運な人生を歩んできたのか、、という話以外はしない。黙って聞いてはいたけれど、義母は病気になった自分の息子の病状を心配する言葉を発することはなかった。

 

その後も面会時間を無視して病棟にやってきては自分がいかに苦労したのかという話だけをとうとうと話し続ける。不満の矛先は主治医に向かった。ドクダミを煎じたものを瓶に詰めて病室に持ってきて、Y男に飲むように勧める。それだけならまだしも、主治医に対して、抗がん剤は体に良くないので抗がん剤をやめてドクダミエキスを飲ませるようにと指示をする。私は実際にその光景を目にしていないので、あとからY男から状況を聞いた。その後も何回も主治医に迫ってきて、主治医の先生が怖がるようにまでなったという。

 

義母は医学の知識はない。もちろん私もY男も医学の勉強をしたわけではないので同じようなものだと思っている。しかし、義母は病院で検査の助手のようなことをしていたことがあって、そういう医療従事者の研修にも参加させられていたという。そのような経験もあってなのか、自分には医学の知識があるのだと自負していたようだ。Y男の話では、「自分はNHKの医学番組をきちんと見ているので、下手な医師より医学の知識はあるのだ」と、医師に向かって豪語したらしい。NHKの一般向け医学豆知識番組で医学に関して医師よりも深い知識が得られるのなら、大学の医学部に行く必要はないのではないだろうか、自分の息子(Y男の兄)が医師なのだが、その兄よりも自分のほうが医学の知識があると思っているのだろうか、、いろいろ疑問というか突っ込みどころはたくさんあるが、私はこれらのやり取りをリアタイで目にしていなくて、後からY男の話で聞いていたことなのだ。

 

「医学の知識がある」義母の指示に従わない主治医に対し、自分に従わない理由を考え出す。まともに考えれば、医療の現場で医師が医学の知識がない(あるいは中途半端に医学のようなものをかじっただけで自分は知識があると勘違いしている)患者の家族の指示に従わないのは当たり前のことなのだが、義母は、自分に対する反発は正しくないことだとしか考えない。

 

そして義母は一つの考えに至る。つまり、自分の息子Y男は、がんではない。それなのにがんだと偽って抗がん剤治療を進めるのは、息子を殺すため。医師がY男を殺したいのは、Y男の配偶者である私と不倫をしていて、邪魔者を消したいから。どんだけ安っぽい二時間ドラマなのか。

 

たまりかねたY男は、その日も面会時間外に現れた義母に宣言した。もう、病院に来ないで。電話をかけてきても、僕は出ない。我が家に不法に移している住民票を、自分の住んでいる町に戻して。僕たちに関わらないで。私はその日の午後、面会時間になって病棟を訪ねたときにそのことを知らされた。私から、そうして欲しいと言ったことはない。思ったことはあるが、Y男は、そんなことはしないだろうと思っていたので、口に出したことはなかった。

 

そうして、とりあえず病院生活は穏やかなものに変わった。その後予定通り入院や退院を繰り返し、放射線治療を受け、最終的には開頭手術に臨んだのだが、それらすべてに関して、Y男自身の意思で、義母には知らせていない。

 

しかし、義母はあきらめたわけではなく、その後何回も病院に対して「あの治療は不法だ」と訴えかけて、病院からY男に対し、「医師が恐怖を覚えているので、今後については警察の介入を考えているがいいだろうか」という確認の電話も来ている。病院が実際に警察に介入を要請した事実はないようで、主治医グループは予定通り数か月のローテーションで担当が変わっていったのだが、義母はそれすらも「自分が悪い医師を排除してあげた」と考えていたようだった。最初の担当主治医の男性は、Y男の開頭手術が成功したときには病床に駆けつけてくださって、わがことのように喜んでくださった。本当にありがたく、申し訳ないことだったと思っている。

 

病院は警察を介入させはしなかった。警察を介入させたのは義母自身だった。