[魂の旅は続く]を掲載しました | 魂の占い師 ネプテューンのブログ

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魂の占い師: ビギー・ネプテューンがスピリチュアルな日常について、気ままにつづります。時には政治・宗教や社会問題にも触れることもあります。全ては「より良い世界の実現」のためです。

以下の文は先日完成した

[青山学院中等部75周年記念アルバム]に

掲載されたものですが、

中等部の許可を得てアップしました。

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[魂の旅は続く]

 

おそらくこれをお読みの中等部卒業生の皆様でしたら、私の考えに少なからず共感していただけると思うのですが、「キリスト教」や「聖書」の知識があること…それは外国、特にヨーロッパやアメリカの文化に対する理解の面で圧倒的に有利であると言うことです。文学、絵画、彫刻などのアート、クラシックからロックに至るまでの様々な音楽、映画やテレビ・ドラマあるいは料理や生活習慣から建築物、政治、経済をも含め、キリスト教的なものが世界には溢れています。私の大好きなロックの歌詞にも「ゴッド」「サタン」「ジーザス」「クライスト」「エンジェル」などの言葉が頻繁に登場しますし、「エデン」や「箱船」「バベル」「バビロン」「ラザロ」など聖書の逸話を元にしたストーリーも数多くあります。それらの作品に対する理解度は、たとえ信者ではなくとも、キリスト教を知っているのと知らないのでは全く違うでしょうね。このような面では、数ある私立学校の中から青山学院を選んでくれた祖父に感謝しています。

 

しかし、思い返せば恐らく中学二年の頃だったと思います。全てが嘘くさく思えて来たのは…。

世の中は汚い嘘だらけ。毎日の「礼拝」も「神」も「聖書」も信じられない。授業にも身が入らない虚ろな日々。

当時はベトナム戦争が激しさを増している時期で、新聞やテレビなどでも盛んに報じられていました。私はアメリカの反戦運動や「サマー・オフ・ラブ」に象徴されるヒッピー達の文化、黒人解放運動などのニュースに共感していました。また、日本の学生運動やフランスの「五月革命」、チェコスロバキアの「プラハの春」など、当時は世界中で反政府運動や暴動が起きており、私は密かに「こんな世界なんか一度壊れればいい。そうなれば戦争も差別もない『理想の世界』が実現するのに」と思っていました。でも「共産主義」には惹かれませんでした。中国の人民服やソ連の軍隊が揃って行進する画像などを見て「ダサい!」と感じたからです。

まあ、今で言う「中二病」だったのかも知れませんね。もちろん、普通の中学生らしく友人たちと映画を見に行ったり…中でも印象的だったのは「卒業」「猿の惑星」「2001年宇宙の旅」…や、女の子の話をしたり、平凡パンチのグラビアを見たり…そんなことはしていましたが。

しかし何と言ってもその頃一番の慰めだったのが音楽でした。ローリング・ストーンズやビートルズ、クリーム、ジミヘンなどのロックやオーティス・レディング、サム・アンド・デイブ、モータウン系などのリズム・アンド・ブルースに心の自由を求めていました。当時、土曜日の午後に放映されていた「ビート・ポップス」という番組も毎週欠かさず見ていました。

 

 

十代の頃はずっとその延長でした。「人生に深い意味なんてない」「その瞬間が楽しければ

イイ」と考えていました。いや、考えることすらなかった。ただ、ひたすら本能の赴くまま過ごしていました。まるでケダモノですね。まあ、ある意味「純粋」だったかも…。

二十二~三歳頃まではそんな感じで過ごしていました。でも、次第に疑問が生じて来たのです。

「自分は何のために生まれて来たんだろう」と言う根源的な

疑問。

多分、以前から内在していた魂の疑問が、仕事や恋愛などの様々な経験の中で無視できなくなり、浮かび上がって来たの

でしょう。

そして、宗教遍歴が始まったのです。私は幼少期からキリスト教の環境で育っていましたが、

その頃、遍歴した宗教は、仏教系、神道系、キリスト教系など様々でした。

大きな教団もありましたし、新興宗教やカルト系のところもありました。

しかし、どこにも自分の居場所はなかった。教理には惹かれる部分があっても、「集団」や「組織」に抵抗がありました。どう見ても普通の人間にしか見えない「教祖」を崇め、その周囲に特権階級がいて、階層社会が作られている。言葉では理想を語りながらも、結局は旧態依然としたピラミッド型の組織なのです。「自分と神の間に『教祖や組織』と言う不純物が混ざっている」と言う失望感を感じました。中には選挙の集票組織でしかない空虚な集団もありました。

その当時接した中で、唯一納得できたのはバグワン(Osho)のこんな言葉でした。

「私が死んだら、グループは解散しなさい」と言うような内容でしたが、当時は「この人は本物!」と感じました。そう!教祖が死んだら解散すべきなのです。それなのに自分の子供や親族に跡を継がせる宗教の多い事。莫大な教団の財産を守るため?社会的影響力を維持するため?いずれにしても宗教にあるまじき不純さですよね。しかし、私はバグワンのグループにも加わりませんでした。みんなが赤やオレンジ色の服を着ているのがイヤだったのです。それは着るもので「自分たち」と「他の人たち」を分けているような気がしたからです。

さて、その後、月日は流れ、ニュー・エイジやスピリチュアルと呼ばれる分野の本を読んだり様々なセミナーに参加したりする中、一九九五年頃、当時アメリカでベストセラーだった「神との対話」と言う本と初めて出会ったのです…が、最初は放り出しました。当時の自分の生活…会社に勤め家族を養わなければならない…そんな生活を破壊しかねない「不穏な内容」を感じ取ったからです。

しかし、さらにその五年の後、私はこの本の価値をやっと見出し、同時に多くの変化が起こりました。その本の中で語りかけてきた神は…懐かしい…あの中学生の頃の自分が顔を背けた…神だったのです。そのことに気付くと、神との一体化を実感し始めるようになりました。「自分は神の一部」という感覚。そして、自分の経験は神の経験の一部であり、自分の魂の進化は神の進化の一部である…という実感。

もちろん、日常生活の波の中で、時々見失うことはあっても、すぐにまた光を見つけることができるようになりました。蒔かれた種が芽を出すのに三十年以上かかったのです。

さて、私の魂の旅はまだ終わっていません。たとえ今回の人生が終わっても、まだまだ続くでしょう。ですから、喜びも苦しみも…大切な魂の経験として味わいます。

 

 

魂の輪廻?一応信じています。でも、こればかりはわかりません…「その時」が来ないと。

「来世」があるのか、「永眠」なのか、それとも「パラレル・ワールド」なのか、それもわかりません。

でも、今は全てを感謝し受け入れます。ありがとうございます。

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以下は中等部からのお願いです。

 

[魂の旅は続く]を読んでくださった皆さんの中に:

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 ・他の文章も読みたい

と言う方がいらっしゃいましたら:

★有償頒布の予定はありません。

★閲覧ご希望の場合は、緑窓会事務局または中等部図書館に

事前連絡の上、訪問していただきたい

とのことです。