こんばんは、本日もご訪問いただきありがとうございます。ネフローゼ症候群患者会の田中です。昨日は朝の10時から夕方の16時過ぎまで「ネフローゼ症候群診療ガイドライン2020」のパネル会議に参加してきました。お医者さんをはじめ医療関係者と熱い議論を交わしました。忙しい中、長期にわたり、膨大な量の資料をまとめてくださっていた医師チームには感謝しきりです。また、皆様にご協力をいただいた「ネフローゼ症候群診療ガイドライン2020」に関するアンケートも大いに皆で参照させていただきました。たくさんの皆様、ご協力ありがとうございました。またアメブロ他、SNSで拡散に協力して下さった方々にも心から御礼申し上げます。皆様に答えていただいた貴重なアンケートは、今後もガイドラインの作成に活用させていただきます。

 

さて、今日はいつもと調子を変えて、読んだ本の紹介をしようと思います。今日は「目の見えない人は世界をどう見ているのか」伊藤亜紗さん著を紹介します。

 

本書は、題名から連想しがちな福祉関係の問題を扱った書物ではなく、東京工業大学リベラルアーツセンターの准教授で、専門が美学、現代アートという著者が(大学途中までは生物学者を目指していた)身体論の観点から、見える人と見えない人の違いを丁寧に確認したものです。本当に何度も何度も読み返したいくらい興味深い本だったので、オススメします。

 

私が一番好きだと感じた部分を抜粋してみます。

 

p.41

『福祉的な態度では、「見えない人はどうやったら見える人と同じように生活していくことができるか」ということに関心が向かいがちです。つまり、見える人の世界に見えない人が生きている。もちろん、現実にはさまざまな社会的なインフラは見える人に合わせて作られていますから、それはそれで大切です。しかし、木下さん(本書に出てくる失明をした方、この文章の前に「そっちの見える世界の話も面白いねぇ!」と発言)の言う「そっち」は見える世界と見えない世界を隣り合う二つの家のようにとらえています。「うちはうち、よそはよそ」という、突き放すような気持ちよさがそこにはあります。手を差し伸べるのではなく、「うちはうち。よそはよそ」の距離感があるからこそ、「面白いねぇ!」という感想も生まれてきます。(中略)差異を尊重する、などというと妙に倫理的な響きがありますが、もう一歩踏み込んで、ちょっと不道徳な「好奇の目」くらいのほうが、この「面白いねぇ!」に必要なのではないかと思います(もちろんお互いの同意のもとで)。意味ベースの関わりとは、見えない人を「友達」や「近所の人」として接する事です。』

 

部分の抜き出しになってしまったのですが、ここに書いてある「意味ベース」というのは本書を通じて、大事な内容です。ここは割愛しますが、ぜひ読んでいただきたいポイントでもあります。全編を通して、「情報」というものに対しての「意味」についても、丁寧に論じてあり、勉強になりました。最初なぜ、「好奇の目」という言葉を使うんだろうとも思っていたんですが、全体を読むとこの言葉選びの理由がわかってきます。

 

ところで、私は以前、視覚障害のある方と就職面接をしたことがありました。その方はとても明るくとても素敵な方で、志望動機をお聞きすると、「接客をしたい」といいました。理由を尋ねると、「お客様が見えるからです」とおっしゃったんですね。その方は視力が一切ないとおっしゃってもいたので、私は純粋にどういう事だろう、と感じてさらに詳しく聞いたんですが、やっぱり「見える」らしいんですね。その時は、比喩だと思っていたんです。ただ今回、本書を読んでその感覚が非常によくわかりました。目が見えなくても、見える。どうやら、「見る」という行為をする器官は決して「目」だけではないようなのです。本書を読んで、私がいかに身体の器官を限られた用途でしか使ってない事に気付きました。

 

別の観点でも、本書を読みながら考えた事がありました。それは、”障害”や病気があると、「普通になりたい」とおっしゃる人が一定数いるということ。それはもちろん、今までたくさんの困難に遭遇されてきた方が、今自分を苦しめている”障害”や病気を取り払った状態で(無かったことにして)、生きたい、そういう風に生きていたらどんな感じなんだろう、と思って発する言葉なのだと理解をしています。けれどもやっぱり、私はその「普通」というものがどういうものなのか、頭ではだいたいこういう事だろうなとは思い浮かぶのですが、そういう風になりたい、という気持ちまでは理解しきれていません。

 

以前、「”健常者”は8時間働いても全然疲れないんでしょう?」と素朴な疑問をぶつけられた事があります。「いや、全然疲れますよ」と答えました。もちろん、疲れ方の度合いはかなり違うかもしれない。でも、疲れなくはない。そういう事だと思います。イメージでは、どうやら、”健常者”って、スーパーマリオの「無敵」みたいな状態なのかな?

 

私は病気になる前にいわゆる”普通”だった期間が四半世紀くらいあるからでしょうか。それとも”普通”な人たちとよく交流しているからでしょうか、まだやっぱり「”普通”」がわかるようで、わからない。ぜひ「普通になりたい」と思っている人に読んでいただき、一緒に考えたい本です。”普通”って何なんでしょう?

 

 

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今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

また次のブログでお会いしましょう。

 

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