Zの告白 番外編
秋も深まろうかという10月末、僕はようやく1週間の夏期休暇を得ることになった。
ここ2ヵ月位は仕事三昧で彼女とは月に1度会うのが精一杯だったので、この休暇を利用して二人で旅行に行く計画を立てた。行先は九州、期間は3泊4日を設定した。
もちろん、意識としてそれは非常に愉しみなイベントであった。デフォルトが制約のある遠距離恋愛なのだ、長時間を共有することがどれほど待ちわびる出来事であることか。
しかしながら旅行は時として危険なイベントになり得るものだ。24時間行動を共にすれば、当然普段のデートでの限られた時間の中では隠されている互いの素性が知れてくる。生活態度しかり、寝起きの素顔しかり。脱ぎ捨てられる浴衣を目にして将来の生活に幻滅する、なんてことも耳にする。
期待と不安とが入り混じる複雑な心境の最中、朝8時半、京急羽田空港の改札前で彼女の到着を待った。
大分空港に向かう機内は、正直少し重苦しい雰囲気になった。ここ数週間、彼女に電話をかけても繋がらないことが多く、それを僕が少し責めたからだ。もともと密に連絡を取ることが得意ではないタイプであることは既に知っているし、彼女は夜勤も多く、たまたま僕が電話をかけた時間帯に疲れて寝ていたということが数回重なった結果だけだったとは言えそうだった。でも僕だって仕事は多忙を極めているのだ。そこには互いの歩み寄りが必須だろう。そのバランスが少し狂っていることを、僕が口に出して咎めた。旅行開始直後のこの1時間弱の話し合いは、ある意味賭けだったが、幸運なことに建設的な議論に終始することができ、遺恨を残さずにその後の行程にスムーズに移行できたと評価できる。
大分空港でトヨタの車をレンタルし、湯布院へと向かった。金鱗湖と目抜き通りを散策し、湯布院美術館で鑑賞を嗜み足湯に浸かった。恥ずかしい話だが旅先での彼女は堪らなく魅力的に映った。非日常の中で目にする彼女の横顔に頭が何度もクラクラした。一目惚れをした日から既に1年3ヵ月以上が経過しているのに、僕は彼女の容姿に飽きたり幻滅したりということがない。そりゃそうだ、そもそも一目惚れという時点で大前提として外見というファクターが完璧に満たされているのだから。世には様々な恋愛論が存在するが、僕の極論として批判を恐れずに述べるなら、やはり外見的な要因は特に男性にとっては最重要なのではないかと感じる。そこが満たされている限り、恋愛に関する殆どは好循環するといっては言い過ぎだろうか。
初日の宿泊は湯布院の旅館。それなりに高給取りとなり金銭面ではかなり余裕があることもあって、一泊数万円する高級な離れの一室に泊まった。恐ろしく高級感に満ちた空間で、予約制の露天風呂の素晴らしさは驚嘆するのどだった。嫌がる彼女を説得して、ふたりでそこに浸かった。上気する彼女の頬にやはり頭がクラクラした。和会席のコース料理を堪能した後、眠りに付いた。天井を見つめながら、10年前浪人していた頃は想像もつかなかった体験をしているよな、と考え及んで、俺も大人になったなあ、なんて月並みな感想を覚えて、苦笑した。
2日目は別府に移動した。「地獄巡り」でまさに観光を満喫した後、別府市街に向かった。別府駅前があまりに変哲のない地方都市であることには少し落胆した。別府タワーなるものに登った。
普段のデートの時もそうだが、旅行中はいつも手をつないで歩いた。これは自分のささやかな恋愛におけるポリシーのひとつだ。付き合い当初は彼女に大いに笑われたが、僕は手をつなぐという行為を重要視している。昔失恋を歌った誰かの曲で「心残りなのは、もっと手を繋ぎたかった」というフレーズに大いに共感したこともある。たとえ横を歩いている相手が現在付き合っている彼女であっても、手をつながなければ、それは単なる”横列歩行”という物理的な現象に過ぎない。そんなのは友達でも家族でも赤の他人でも誰とだってできる。それを分つのが手をつなぐという行為だ。そこに精神的な意味が生まれる。そして何よりも相手の体温を常に感じながら歩くことは単純に心地良いことだ。
別府では海が一望できるホテルに泊まった。この宿泊先は彼女が決めてくれていた。本当に眺めの良いところで、部屋も綺麗だった。ホテルは素泊まりのプランだったが「毎日旅館とかホテルで夕食だと量が多いし飽きると思って」そうしたのだという。この発想は僕には無かったので、これには正直少し感動を覚えた。
この旅行中のひとつの発見は、彼女はとても機転の利く人だ、ということだった。学歴という点では看護学校卒ということになるが、頭の回転が非常に速い人なのだな、という印象を随所で感じた。僕は推理小説が趣味であることもあり、いくつか謎かけのネタを持っている。話題のひとつとしてその謎かけを遊び半分に幾つか出題してみたら、彼女はほぼ全てをたちまち即答してしまった。これには驚いた。同業者の中にもそんな人間はこれまでいなかった。「物凄く硬くて長い棒があると仮定して、これを地球から何百光年先のとある惑星まで渡す。この棒の地球側の端を少し動かすと、当然惑星側の先端も少し動くよね。この動きをデジタル信号に変換することにすれば、光よりも速く情報を伝達できることになる。これって正しいと思う?」と尋ねてみたら「無理。だって振動(※正確には波動だが)は光よりも遅いでしょ」という調子で。
少し傲慢な立場で物を言えば、以前付き合っていた彼女で「埠頭」という言葉が通じない子がいて、酷く幻滅した覚えがある。そういう子はメールの文章も支離滅裂で、なんだかやっていけない気がして、別れた経験がある。こういう面は付き合う前に予想が付くこともあるが、実際の程度はやはり付き合って暫くしてからでないと見えてこない。僕は基本的に学歴がそれほど重要であるとは思っていないが、やはり会話を成立させる程度には相手の知的なレベル(非常に厭な言い方だが)の高さも必要だとは感じていて、この発見は嬉しい誤算と言えた。謎かけ以外にも、僕が聞き逃していた店員のさりげない説明を記憶していたり、道を間違えた時に地図を読んで助手席で道案内してくれたり、要所要所で非常に頼りになった。そういえば、今の彼女のメールの文章に違和感を覚えた記憶はない。
この日の夕食は別府駅前でラーメンを食べて、そのあと1時間ほどカラオケに行って歌い、ホテルに戻って、ふたりで缶ビールで乾杯して、寝た。朝は早起きをして、部屋から瀬戸内海の朝日を眺めた。とても綺麗だった。
3日目は熊本は阿蘇の方面へやまなみハイウェイをドライブした。道中の風景は圧巻で、少し早かったが紅葉も愉しむことができた。途中日本一とかいう吊り橋に寄り道をした。ロープウェーに乗って有名な阿蘇山のカルデラを眺望した。なるほどこれは日本有数の景色だと深く納得した。
一方で彼女の気難しい一面を再認識する場面も幾つかあった。その代表が極度の写真嫌いだ。これは以前から分かっていることだが、カメラを向けると途端に背を向けてしまう。彼女の写真は数枚を撮るのが精一杯だった。理由を尋ねてもあまり明確な答えはなく、元来そうなのだという。かつてこのことを巡り少し口論になりかけたこともあるのだが、そういう時の彼女は非常に意固地で聞く耳をあまり持とうとしない。このようなことは多々あり、良く言えば自分のポリシーを曲げないということなのだろうが、なるほど病棟で変わった人だという評判になるわけだ、という感想を持っている。一言で形容するなら根本は「ひどく用心深いリアリスト」なのだろうな、と最近思う。かわいく形容するなら「ツンデレ」キャラとも言えそうだが。
その後黒川温泉へ。この日はじゃらんの口コミランキングを見て最も料理の評判が高い宿を選んでいた。実際、この日の料理は素晴らしく美味しかったし、部屋も斬新な造りで満足の行くものだった。
翌日は阿蘇くまもと空港まで車を走らせ、そこから飛行機に乗って夕方羽田空港に戻った。彼女は翌日の夜から仕事だったから、そのまま解散でも良かったのだが、何となく勿体ない気がして、結局この日も東京のホテル(有体に言えばラブホテルだが)に泊まった。数日間に渡りかなり濃密なスキンシップを果たしたとは言えそうだ。これは説明するまでもなく非常に重要なことだ。
今回の旅行では当初抱いていた不安は杞憂に終わった。僕は寝起きの顔すら可愛いと感じたし、彼女は浴衣を脱ぎ捨てたりはしなかった。気難しいところはあるけれど、それも「ツンデレ」で笑って許せる範囲内だと思えるし、この先一緒に生活する展望まで考慮した場合でも、十分にやっていける気がした。世に言う卒業旅行にはならずに済んだわけだ。
しかしながら、遠距離は続く。僕の仕事はますます忙しくなりそうだ。恋愛の状況的には依然かなり厳しい条件であることは間違いない。今後も将来に向けて現実的にかなりシビアな話し合いを重ねなければならない。
けれどその第一歩を踏み出すに十分な収穫と判断材料を得た旅行であった、と総じることは可能だろう。
これは多分、非常に幸福なことだ。
Zの告白 3
さて、時を同じくして自分にはもうひとつ全く別件の懸案事項があった。
それは2年間の研修医生活の終了後、3年目から勤務する病院を何処にするか?ということ。
研修1年目に外科の魅力にどっぷりと嵌まって以来、僕はすっかり外科志望になったのだが(学生時代は内科医になるだろうと半ば盲目的に思い込んでさえいたのだが)、さて外科医としてこのまま今の病院に残っていいものかどうかを自問する時、それは非常にsensitiveな問題と言えた。
外科は誰が何と言おうとまず「手を動かしてなんぼ」の科である。特に最初の数年間は如何に数多くの手術件数を積めるかが勝負で、この点はスポーツ等と似ている。そういう観点からすると、現在の研修先の外科にそのまま3年目も在籍するという将来性には不満を感じざるを得なかった。指導体制はともあれ、単純に、都会に立地することもあって手術件数がそれ程多くない病院だったのだ。
さて、では手術件数が多い病院とは具体的にどこにあるのか?というと、これは都市部ではなかなか無い。都市部は人口も多いが、それ以上に病院数も医者の数も多いので、単位病院当たりの患者数は相対的に少なくなり、結果一人頭の手術件数も減少する。
逆に地方の病院では圧倒的に病院数が少ないため、単位病院当たりの相対的な患者数は多くなり、また医者の数も都市部に比較して少ない傾向があるため、自ずと手術件数を積める、という図式になる。
僕は一応、それなりの志を持って医学の道を選択した筈で、多少の紆余曲折はあったにせよ、自分の進むべき外科という道を見出した以上、その道を一心不乱に邁進することが人生を賭した至上の命題であると少なくとも自分のある一面ではそう思っていて、そしてそうであるならば3年目の病院は手術件数を多く積める地方の野戦病院を志願することが、極々当然の帰結であると思われた。
勿論文字通り「死ぬほど」忙しくなるのは火を見るより明らかというやつなのであるが、そんなことは元より覚悟の上であって、若い内に限界まで頑張ってみたい、自分を試してみたいという自己征服欲も少なからずあったろう。
だが僕は悩んだ。
どうしても踏ん切りが付かなかった。
こんなにも頭でははっきり答が出るクリアカットな問題なのに、心のどこかがその答を拒絶してしまう。動悸がして過呼吸になりそうな自問自答、自己矛盾に毎日苛まれた。
陳腐で矮小な悩みだ、そんなことは自分でも良く分かっている。世間/業界の大部分からは嘲笑の対象となろう問題であることも重々承知のうえ、だ。実に某巨大掲示板の病院スレッドあたりで酷評されそうな話であることも。
だがそれでもだ、これは告白記なのだから、正直に打ち明けよう。
僕はAがいる病院を離れたくなかったのだ。
…結論を言えば、僕の理性は地方の野戦病院を志願し、そこは割と人気のある病院であったにもかかわらず、運良く採用が決定した。きっとこういうのを悪運というんだろう。ちなみに第2志望には都市部の程近い病院を挙げていた。それが自分の心の均衡を探りに探った結果の妥協点だったに違いない。
この時点で、残り時間は4ケ月弱。その後にはAとは遠く離れた病院に移ることが決定したわけだ。
最早何をするにも、たとえどうにかなるにせよ、絶望的な時間だと思った。
Zの告白 2
心地よい自堕落と同義の体のよい妄想に身を任せる内、瞬く間に数ヶ月が過ぎた。
現行の厚生労働省が定めた(腐った、と専ら評判の)研修システムでは、卒後2年目の医者は「必修科」といって本人の意志に関わらず強制的に働かなくてはいけない科が幾つかある。精神科、産婦人科、小児科、地域医療等々がそれに該当する。どれも1月程度の短期間であるが、彼女のいる病棟はちょうどその必修科のひとつだった。
つまり僕は、初めて彼女を見かけた日から約半年のち、これを偶然というのか必然というのかは分からないが、彼女のいる病棟で働く機会を得たのである。少なくとも幸運ではあったろう。
研修医という身分では基本的にほぼ毎日病棟に出勤して朝から夜まで働くことは当たり前だが、看護師はそうではなくて、病院にもよるが二交代制とか三交代制といったシステムが主流だ。それに不規則ながらきちんと休日もある。したがって彼女を病棟で見かけるのは同じ病棟での勤務であっても2、3日に1度だった。しかし、それでもこれは飛躍的な状況改善に思えた。
初日、簡単な自己紹介を交わした。少なくとも外見上は、極々一般的な、そして実に事務的で社会性に満ち満ちた平凡な言葉のやり取りであったと記憶する。「Zです、1ヶ月よろしくお願いします」「Aです、こちらこをよろしくお願いします」といった、中学生の英語の教科書に出てきそうなありふれたフレーズだったと思う。ただ、もう説明も要さないことだが、そんな会話のやり取りすら堪らなく刺激的で、やはり頭がくらくらした。
僕がもしアメリカドラマの「ER」の登場人物なら、この時点で仕事帰りに映画にでも誘うワンシーンが挿入されるところだろう。しかし残念なことに僕はしがない一介の、ただ真面目に仕事をこなすことが精一杯の、平均的な日本人男性に過ぎない。現代風に言うならそんな「キャラ」として売っているわけでもなければ、認知されているわけでもない。人目がある職場でそんな大胆な行動は死んでも出来ないし、第一彼女だって日本人女性なのだ、何かの間違いでそんな行動に出たとしても俗に言う「ドン引き」されて終了だろうことは火を見るより明らかというわけで、とどのつまり状況は何も変わらなかったとも言えた。僕は極めて平均的なルックスで、坂口健二でもヤマピーでもなんでもないのだから。
結局、彼女を見かける頻度が増したという至極物理的な境界条件が多少変化しただけで、僕は相変わらず彼女を遠めに眺め続け、都合のよい妄想に終始してはそれで良しとするだけだった。期待が無かったと言えば嘘になる。しかし週に2回程度は極めて業務的な会話を交わすことはあっても、それは悲壮なまでに純粋な仕事の話であって、関係性の変化向上に寄与するものではまるでなかった。
さて、僕が考えたことはこうだ。
僕は彼女に惚れている。これは間違いがない。
しかし彼女には一切その気はない。まるでない。そもそも存在がきちんと認知されているかどうかも定かではない。
でも、僕はできれば付き合いたいと思っている。
しかしその為にどうすればよいのか、その手段がまるで分からない。本当にさっぱり分からなかった。
職場の飲み会でも開催されればと思うが、そんな機会も皆無。
「日常の中で自然にふたりの仲を進展させるような気の聞いた台詞を」、なんて柄でもない。
手紙でも渡すか?待ち伏せして声をかけるか?いきなり突拍子もないタイミングでプレゼント?晴天霹靂のメール攻撃?はたまた電話?後をつける?自宅に押しかける?教えて!gooで恋愛相談する?いきなり病棟で告白する?
等々、後半はもう狂った精神状態としか言いえない発想だが、そんなことを9割方真剣に考えたりした。
本当に、さっぱり分からなかったのだ。
僕は勉強ばかりしてきたつまらない人間で、こと女性関係にかけては恋愛偏差値中学生レベルの真のチキン野郎なのだ、ということを心底自覚した。「どの参考書にも書いてないよ、ママー!」ってなもんか。
結論を言えば、僕はこの天から降って涌いた僥倖の様な1ヶ月間、一切何も行動できなかった。ただひたすら遠目に彼女の姿を追っただけ。何の進展も無かったのだ。おそらく周囲の見た目には、僕は課せられた職務だけをただ淡々黙々とこなす一研修医に見えただけだろう。そして僕はこの病棟を後にした。
世の中個人の努力とかだけではどうにもならないことがあることを、少しだけ実感した。そういえば、多くの病気だってそうだ。
