「一つの意見に集約すべきでなかった」コロナ総括シンポで語られた重要な教訓   

大阪大学主催の新型コロナ・パンデミックを振り返るシンポジウムで政府分科会の元メンバーが立場を超えて一致した教訓とは。
 楊井人文 2024.02.04  
 
2月3日、大阪大学の主催で新型コロナ・パンデミックを振り返るシンポジウムが都内で開かれました。 
 
昨年の「5類」移行まで政府のコロナ対策分科会メンバーを務めていた大竹文雄・同大特任教授(経済学)や、押谷仁・東北大学大学院教授(微生物学)らが登壇しました。 

<a href="https://www.osaka-u.ac.jp/ja/event/2024/02/10639">大阪大学のサイト</a>より 
大阪大学のサイトより
 
1年前に私のインタビューで「5類移行は遅い」と指摘した内田克彦・全国保健所長会長、政府の広告塔として感染対策の呼びかけを担ってきた忽那賢志・大阪大学大学院教授(感染制御)も登壇するということで、どのような議論になるのか期待していましたが、残念ながら論点が多岐に分散し、時間も短かったため、ほとんど実質的なディスカッションがなされませんでした。 
 
ところで、ちょうど今は「第10波」で感染者が急増している最中ですが(東京都のデータ)、忽那さんも押谷さんも、その他に来場した著名な感染症専門家も、どなたも終始マスクを着用されていませんでした。 
 
あの「コロナ禍」とは何だったんだろう、5類移行でウイルスが消えるわけではなく従来の対策は必要と唱えていたのは何だったんだろう、という思いを拭えませんでしたが、それはともかく、ディスカッションで非常に重要な教訓が一つ示されたので、書き残しておきたいと思います。 
 
<a href="https://www.hokeniryo.metro.tokyo.lg.jp/kansen/corona_portal/info/monitoring.html">東京都保健医療局</a> 
東京都保健医療局
 
それはディスカッション終盤でのやり取りでした。 
 大竹さんが、「分科会ではいつも押谷さんとは意見が違っていた」けれど、「尾身会長は一つの意見に集約しようとしていたが、本当は必ずしも一つの意見に集約する必要はなかったのではないか」「専門家の意見が一つに集約され、それが政府の方針として採用されたために専門家が政策を決めているような形となってしまった。でも、本来は色々な専門家の意見を示した上で、どう決断するかが政治の役割だったのではないか」という趣旨の発言をされたのです。 
 
そして、この考えについては、コロナ対策では意見が異なっていた押谷さんも全く同意ということでした(撮影も録音も禁止だったため、記憶の限りで再現したつもりですが、厳密な発言内容ではないのでご容赦ください)。 
 
これは非常に重要な示唆だと思います。 
 
「5類」移行前まで、当時の尾身茂会長は「ワンボイス」で発信することの重要性を、ことあるごとに繰り返し強調していたことを覚えていますでしょうか。要するに、色々な意見やメッセージが出ると人々が混乱するし、感染対策も効果が出ないから「ワンボイス」に集約して発信すべきだ、という考え方です。 
 
「感染対策が何より重要」と考える立場の人は、その通りだと思うかもしれません。しかし、感染対策を非常に重視していた押谷さんも、意見が異なるのに一つにまとめるのはよろしくない、との見解を示されたことが注目すべき点です。 
 
「ワンボイス」の考え方には非常に大きな危険性が潜んでいます。ポイントを3つ挙げておきます。 
 
第一に、その「ワンボイス」なるものは、十分な熟議の末に到達した真の合意・見解の一致ではなく、異論を封殺して無理に作られた擬似的なコンセンサスでしかない、という点です(以下の記事参照)。 
 
まん延防止重点措置の政府方針に明確な反対意見 分科会の議事録で判明(楊井人文) - エキスパート - Yahoo!ニュース   
news.yahoo.co.jp   
  
第二に、あたかも専門家が一致した見解であるかのように権威づけられることで、本当にその「ワンボイス」が正しいのかどうか議論、検証しにくくなる、という点です。 
 
異論があっても無理に作られられたワンボイスですから、それが正解だという保証は全くありません。なのに「ワンボイス」はやはり権威がありますから、異論を挟みにくい。専門家も「ワンボイス」に同意したという形をとられるので、疑問点があっても口に出しづらく、従わざるを得ない。こうして多様な見解に基づく議論が難しくなります。 
 
第三に、政治の側は、専門家が出した「ワンボイス」に従っているという形で自らの政策の正当性を説明しやすくなるため、事実上、政策判断の責任を専門家側に押し付けることを許してしまう、という点です。 
 
これは政府が、専門家の「ワンボイス」と異なる政策をとろうとしても、とりづらくなるという別の危険性もあわせもっています。 
 押谷さんは、朝日新聞のインタビューでも、はっきりこう述べていました。 
 
新型コロナの分科会では、医療・公衆衛生の専門家も、経済の専門家も同じ場で議論しました。それぞれの立場で考えることも違います。
今後は、経済は経済の分科会で、医療や公衆衛生は医療の分科会で、それぞれが提言を出し、政府がそれぞれの提言をどう判断するか、というものにするべきだと思います。
少なくとも、今のように分科会でコンセンサスを得るというような形にすべきではないです。
朝日新聞2023年5月10日
 
私は、経済の専門家であれ、医療・公衆衛生の専門家であれ、一枚岩ではないので、それぞれの分野で意見を無理に集約する必要もなく、それぞれが自由に意見を出し、一致をみる点があれば連名で意見を出すという形でよいのではないかと思います。 
 
医療と経済の専門家だけでなく、憲法学者・法学者や、哲学・倫理学、心理学、教育など各方面の専門家がもっと積極的に参加、発言すべきだったと思います。そうした様々な見解を踏まえて、最終的に政治の側で方向性を決めるべきなのです。 
 
コロナ禍の最大の問題は、異論を封殺して一部の専門家(特に感染症専門家)の意見だけで社会全体を動かし、人々はそれに従えばいいという空気を作り出した「公衆衛生全体主義」だったのではないでしょうか。 
 
昨年暮れに登壇したオンラインシンポジウムでも、私は様々な論点を検証した最後に、そのような問題提起をしました。大阪大学のシンポジウムで大竹さんと押谷さんが「一つの意見に集約すべきでなかった」という見解で一致していたことを知って、改めて、これなら立場を超えて共有しうる教訓ではないかと思うに至った次第です。 
 
このニュースレターでお知らせするのをうっかり忘れてしまいましたが、私が登壇したオンラインシンポジウムの動画を紹介しておきます。スライド資料も公開しました。よろしければ(非常に長尺ですが)ご覧いただければ幸いです。 
 
<a href="https://www.youtube.com/watch?v=pIq0LC5COuQ">シンポジウムの動画</a> 
シンポジウムの動画
 
<a href="https://docs.google.com/presentation/d/1wd-MjkoHqpvIixG8GXkJKa3dH2SfrW2TMiQ0dgvWxl8/edit?fbclid=IwAR2n39JdNE8OvIalOcrJ2VUtpQYZJeFnXs4yzk8eCJKesZYFDuso_LI6UyE#slide=id.g70e43340187f8e0_439">筆者の発表スライド</a>より 
筆者の発表スライドより
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