真犯人のヒントは、決行日の8月12日の中にあります。
日付を西洋流に逆に読むと、12月8日になります。
そう、日本軍がアメリカの真珠湾を攻撃した日付です。
逆に読む事のもう一つの意味は・・・
今度は、アメリカが日本を攻撃したという解釈になります。
つまり、事実上の犯行声明と捉える事が出来る訳です。
墜落現場は、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根
(通称「御巣鷹の尾根」でした。
正式名称は、高天原山(たかまがはらやま)といいます。
(事故概略)
1985年8月12日 18時12分に羽田を大阪に向け離陸した日航123便
(ボーイング747型ジャンボ機・乗員15人、乗客509人、計524人)は
離陸してまもなく大島西方上空付近で機体の異常を訴え、数十分間ダッチロールと
呼ばれる異常飛行の後、18時56分すぎ、群馬県上野村の三国山の北北西
約2.5キロメートル、標高1,565メートルの通称・御巣鷹の尾根に激突し炎上した。
4名の重傷生存者と520名死亡の犠牲を出した。
アレレレ・・・???
公式の記録では、4名の生存者 となっていますが、
日本経済新聞の紙面では、7名の生存者 と公表されています。
一体どちらが正しいのでしょうか?