昔の西洋人たちは「この世に無限が実在するのか」について長い間議論を重ねていた。結局、物理的な世界には無限が存在し得ないという結論に達したのであるが、その考え方は現在も大きく変わっていない。しかし、数学の世界や空想の世界では、無限という概念が確立され、具体的に扱われている。それが「無限集合」や「超限」というものである。
無限集合を最初に数学的に体系化し、研究したのはゲオルグ・カントールという男である。カントールは無限集合を数学で扱えるようにし、その性質や分類法を提唱した人物である。
有限集合と無限集合の違い
まず、有限集合の例をみてみよう。例えば、1週間の曜日を表す集合:
この集合には7つの要素が含まれている。
これは明確に数えられる範囲内に収まるため「有限集合」と呼ばれる。
一方で、全ての自然数の集合を考えてみよう。
この集合には要素が無限に含まれている。
こうした「要素の数が無限に続く集合」を無限集合と呼ぶのである。
無限集合の大きさ:濃度
通常「無限Aと無限Bのどちらが大きいか?」という議論は意味を持たないように思われる。しかしカントールの理論では、無限集合にはそれぞれ「濃度」と呼ばれる概念があり、これによって無限の大きさを比較できるのである。濃度とは、簡単に言えば「個数」を拡張した概念である。例えば、自然数の無限集合が有する濃度は、最小の無限として (アレフ・ゼロ)と呼ぶ。この を基準として、さらに大きな無限集合が存在するのだ。
- アレフ1 (): 次に大きい無限集合の濃度。実数の無限集合
- アレフ2 (): さらにその次に大きい無限集合の濃度。
このように、濃度が上がるにつれて無限集合の「大きさ」も大きくなる。無限集合の濃度は無限集合から冪集合 (元の集合の部分集合全体の集合) を作る事で、より濃度の高い無限を作る事ができるのだ。そして、このアレフの濃度には上限がない。つまり、無限の上にはさらに大きな無限があり、それが無限に続くの。より大きな無限は無限に作り続ける事が可能なのだ。しかしそれが無限集合論の終着点というわけではない。むしろ、無限集合論はその根底を支えるルールを拡張することで、さらに大きな無限を垣間見る事ができるのだ。
巨大基数論
無限集合論の大前提となるのが、数学の公理系「ZFC」(ツェルメロ-フレンケル集合論 + 選択公理)である。ZFCは現代の集合論を支える基盤であり、これを土台として無限集合が研究されているのだ。しかし、このZFCだけでは証明も扱いもできないほど大きい無限が存在する。それが巨大基数と呼ばれるものである。巨大基数には、到達不能基数やマーロ基数、コンパクト基数、膨大基数など、さまざまな種類があり、それぞれが異なる性質や大きさを持ち、その大小は無矛盾性によって比較される。
例えば、マーロ基数が無矛盾であるならば、到達不能基数も無矛盾。一方で、到達不能基数が無矛盾だからといって、マーロ基数も無矛盾であるとは限らない。この関係はマーロ基数の方が到達不能基数よりも無矛盾性の強さが大きいことを示している。そして、この無矛盾性の強さの違いに基づいて、マーロ基数は到達不能基数よりも「大きい」となる。 マーロ基数が存在すれば、その定義上、より小さい巨大基数である到達不能基数の存在も保証されるのだ。
巨大基数はその無矛盾性の強さが増すにつれて、その証明が難しくなる。要するに大きい巨大基数ほど矛盾しやすくなるのだ。大雑把な考え方としては『矛盾に近付けば近づくほ無矛盾性が高くて大きい』という感じである。そして矛盾に近付くほど大きいという事は、極端な話、最も大きい巨大基数は矛盾しているという事である。ゆえに最大の巨大基数は矛盾(0=1)と言われているのである。
ただし矛盾(0=1)を前提にするとあらゆる命題が証明可能になるため論理が崩壊してしまう。 数学は無矛盾性を仮定する範囲内で成立しているので『最大の巨大基数は(0=1)』という論は、論理的には正しいが数学の枠からはみ出た話だと認識するのがよかろう。