先日、とあるスーパーで履歴書を買った時のこと。
レジで会計を済ませ、店を出ると、夕方の紫の空が、おだやかに、目の前に差し込んできた。
その瞬間、ふと心が軽くなった。
もう、今の仕事に、生活に、とらわれる必要はないんじゃないか・・・!?と。
現在、転職先の候補はいくつかあるが、仮にそこが駄目だったとしても、
「もう一度、漂白し、黄昏れる」ための時間と、心の余裕は必要なんじゃないか??と気付かされた。
今のじぶんに、ほんとうに大事なものは、なんなのか。
ここ数ヶ月は、平穏な時代から、いつしか弱肉強食の時代へと移行していった。
ミスは許されず、気の緩みはとことん蔑まれる。
まぁ、気の緩みなんぞは普段からないに越したことはない(というより、ダラダラとは仕事したくない)のだが、
思いがけず油断しようものなら、村八分のような状況になる。
なんとも厭らしい職場環境になったものだった。
それでも、スケジュール内の、やることが終われば、途端に退屈になる。
そうなると、掃除だとか、現場の見回りを、仕事の終わりまで、だらだらと過ごすしかない。
それもまた、苦痛だった。
熱湯風呂で、思いっきり暑さに耐え、今度は、凍えるまで冷水に浸らせられるような、そんな悪趣味な所業にはうんざりさせられる。
さらに、その中でも一緒に仕事がやりやすかった同志たちも遠いところへ行き、戦況は不利な状態に。
自分も、新しい環境に見合うべく、その都度、工夫はしてきた。
それでも、自分の手札が好転するわけでもなく、できることは限られていた。
・・・家に帰っても、30分のうたた寝のつもりで、そのまま朝を迎えてしまっていたことも数しれなかった。
しかも、仕事場のため、いくつか準備しなければならないことのために、プライベートのお金と時間を削られる場面もあった。
帰宅後にしたいことは、山のようにあるのだが、
その思いに反して、身体は鉛のように鈍く、
心は格闘の現実から目をそらさぬように、
純粋な部分に蓋をしてしまっていたようなのだ。
つまり精神的にも身体的にも疲弊しきっていたのだった。
「人知れず、どこかに、そっと消えてしまいたい。」
そんな風につぶやく自分も、少なくなかった。
・・・しかし先日、履歴書を買った出来事が皮切りに、間もなく迎えるであろう、盆のシーズンに向けて、じぶんのやるべきことは定まった。
「もう一度、黄昏れよう。」
人知れず、誰からも足を引っ張られず、私も誰の足を引っ張らずに過ごしたい。
・・・そのためには、灼熱に照り付ける陽の光に反してあらわれる、
高くも深い木々の陰影の下、黄昏れのための足を止めてはならないのだ。