長野の民家にお邪魔させてもらって、
雑談 しましたが、その方は70代後半、
お金ないと、タンポポを取って食べたりしたという話をしてくれました。
いろんな山草を取って歩くのです。
こんなものしかなくて、ただのもので。
いえいえ、
私たちの世代にない生活能力。
その方は仕事先の薬品で化学薬品のアレルギーになって中性洗剤はダメだそうですが
今ではすっかり良くなっています。
CSにはならずに終わったようです。
換気のいい部屋。
自然なものの食事。
やはり力がない畑の野菜よりも
雑草と言われている野草を食べることを知っているというのはすごいです。
むしろ化学薬品にアレルギーというときに野草を知らずにせっせと食べて、
食べるために山歩きしているというのは、
CSに最終になるファクターに向かわずにすんでいるのですね。
山に一人で入らずいろんな人とおしゃべりして入っていくのもいいのだなと、
今日ブログ友さんのアメンバー記事を見ていて思いました。
いくつも興味深いことを書かれていました。
その中でも泣くというのは、
よく心の中を浄化するともいわれています。
泣くことができる環境に知らずと囲まれていて、ただ泣きではなく、
ちゃんと受け止めてくれる相手にです。
日本人は感情をあらわにするのを受け止めることが本当に苦手になっています。
昔の日本人は、違っていたようでしたが、
今は本当にそういう泣く姿を受け止めれる人間関係は稀になっています。
泣いてるのを見られると、
後で噂してくるとか、
そんなことで泣くのかとすぐになんかそれに水を差す人も多い感じですが、
よほど外国人の方がそれをはっきりあらわし、全然違うものでも受け止めるところがあります。
野草や山菜もいまの種子法で遺伝子組換えの野菜を食べるしかなくなってしまいそうなご時世でひとつの光ですね。