つづき


ですが、前の投稿【堺、環濠エリア編】


とは話がリンク


するので


こないだのように


リブログからアップしておきますねー

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アイコンの画像がこれまた、


だぶってしまいますが


そこはご愛嬌でお読みくださいねー


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千利休と与謝野晶子の記念館の名前は

互いのなまえを取って


さかい利晶の社

といいます


この施設は堺市が建立したようだけど


ちゃんと互いの旧家に近い場所にしたのが


洒落てますねーニヤリ


しかも、施設内(横)には、スタバ、梅の花

という日本料理の店もあるという

用意周到なところは


抜け目ない堺商人の商魂がそうさせたのだろうか………。🤔🤔


とはいえ、

入館料が300円で、駐車代も入館したら2時間無料

との配慮はなかなかありがたかった




一階が利休さん二階が晶子さんとセパレートされてます。先ずは利休さんを覗きます


利休さんは天下人との妙な繋がりを持っていたようだ
秀吉によって自戒させられたのは
その人脈を恐れてのことだったかもとの事


さかいは、南蛮との貿易の拠点だった
フランシスコ・ザビエルとも親交があったらしい

あと、茶室の建築、作法にも自ら考案したり、
決定したりと、現代だとプロデューサー
のように立居振舞ってたそうな。
そういうことするのが好きだったんでしょうねニヤリウインク

自分のプロデュースしたものを
スポンサーである天下人にPRして、
それが認められてほんでより愉しくなって
もっともっととどんどん上りつめて、
交友関係も広がっていって
後世に残るまでになったようです。

凝り性だったのかもね

黒の茶碗を創ったのも彼でした
その頃はたいがいが着色しないものだった



これは、利休が手掛けた建築美との事
この壁がそうらしい………。

現代ではなんのこともないような
和の家の側面だけど
当時は画期的というか、
和モダンな作りかただったようですね………。

以上が、利休さんの感想

以下、
当時のさかいの様子







当時は、入江(住吉浜)になっていて、小舟で物の移動をしていたそうな。

オランダ船の荷物は小舟で運ばれて、
鉄砲も小舟に積んでオランダ船まで
持って行ってたようです

オランダ人との値段交渉は
小舟でやり取りしていたようで、
まるでベニスのようですね

これが、日本でのさかいは
水の都
商いの街
と言われた所以です


利休さんはここまで

次は二階でやっている

与謝野晶子記念館にお邪魔

晶子さんはご存知のように

詩人ですよね

至るところに彼女の詩が展示されてます

詩を認めるため、よく旅をされてました

その記録がまとめてある年表みたいな
ものもありました。

温泉地などにもよく寄られたみたいです

関西では、城崎温泉がお気に入りのようでした

僕が気に入った伊香保温泉にも

彼女の詩が石像になってたのを思い出します。

当然、草津温泉にもありましたね

また、大分県 別府にも訪れられてたし、

北海道の旅の様子も展示されてました。

とくに、大分県とは、ゆかりが強く

今でいう、親善大使 に任命されたようです

町おこしの為にチャリティ募金活動にも率先して

参加していて、その意志を継いだ人たちによって

現代も続いているようです。

そういう記録を鑑賞しつつ

僕の興味が膨らんだのが、

2月迄のプチイベントでした



シンプルでわかりやすいよー😊
各、駅のいち関係がよくわかる。

ナビもアナログバージョンってコンテンツで出せばいいと、昭和の人間は思うんだよね〜🙂










山とか川とか運河とか入江とかが立体的に描写されてて、山の高さや、川の広さ、長さが
視覚で
理解できるとこがいいよね。

与謝野晶子記念館でおまけ(というか、これがメインになったかも😳)を愉しみました

一応、館内の様子おば

実家は商いをしていた 
駿河屋という老舗のお嬢さんだったんだね

外の景色


石碑


奥のサーモンピンクの建物が記念館。左の黒い建物が、スタバ、右側が 梅の花 という配置です

この日は、温泉には寄らずに、

帰路としましたー

とさ

ではでは〜