吉村弘/Surround 1986年作
透明な音の波動は空気を浄化し、周りに豊かな波紋をひろげてゆく――――
ライナーより抜粋
本作は86年にミサワレーベルからリリースされた。
聴き馴染みのないレーベルだが母体はご存知住宅メーカー大手のミサワホームであり、ミサワホーム総合研究所の
サウンドデザイン室が企画した”サウンドスケープ・シリーズ”の第一弾として本作が作成された。時代は量から質
へと変化しており、さらに一歩ポスト質=”味”へ踏み込むマイルストーンとして、端的にいえば快適な住環境の
追及の一環として展示住宅用のBGM即ち”サウンドスケープ・シリーズ”が企画され環境音楽家である吉村弘に依頼
が舞いこんだようだ。海外での盛り上がりを端緒に近年、日本の環境音楽/ニューエイジミュージックの発掘、
再評価が高まりポツポツと色んな作品が再発されるのは大変喜ばしい限りだが、利権絡みかまだまだ陽の目を見な
い作品は多い。なぜこれまで日本の環境音楽/ニューエイジミュージックが顧みられなかったのか、本作を例に2つ
理由を挙げてみたい。1つは流通が限られていたという事。ミサワレーベルはいわゆる普通の音楽レーベルではなく
一般企業が立ち上げたもので、社内もしくは周辺にみでの流通されれば事足りるわけで音楽それ自体を商品化し
ようとしたわけではなくあくまで住宅販促の一環、その域を出なかった。そういった企業絡みのアンビエント作品
は少なくないようだ。2つ目は時代性。80年代、90年代、まあ00年代初期もそうかな、日本の環境音楽の地位が
低かったような気がする。当時は押しなべて(全てとは言わない)環境音楽というといわゆる俗流アンビエント、つまり”安眠用”だとか”精神が整う”だとか”リラックス””α波が云々”etcetc、といった具合に”聴かれる音楽”として
で無く即物的な癒しのBGMとして消化される軽音楽と十把一絡げに扱われるケースが多かった。俗流アンビエント
の中にも良作があり、どちらが俗でどちらが本流か一概に良し悪しで語られる話ではないが、ようするに前述した
流通の問題も相まって真っ当な音楽評価を得ることもなく埋もれてしまったケースがすごく多かったのだと思う。
そもそも論でいえば、ロックリスナーに比べ環境音楽というジャンルに特化したリスナーが圧倒的に少なかった
だろうし、それを紹介するメディアも殆んどなかったのではなかろうか。ニューエイジミュージックと言えば一般
的には喜多郎に終始してしまう部分があり、多くの環境音楽家(と括ると語弊が生じるが、、、)が商業主義には
一歩退いた立場にいたので知名度も限られていた。環境音楽はイーノが提唱した音楽ジャンルだが、現代音楽の
一部にその一端を見出したりジャーマンロック或いはニューウェイブ、テクノの極一部がそういったアンビエント
的なアプローチをとったりと様々なジャンルに散らばって存在していたため網羅的に把握するのが困難な時代が80
~90年代だったと思う。いまや情報過多なネット社会である。あらゆる真贋不明の情報が空中を飛び交いどんな
マニアックな情報もネットで検索をかければ見つけることができる。音楽ジャンルも多様化し細分化がなされ
ジャンルを超え体系化されてしまう世の中にあって、ある日、日本の環境音楽にポッと陽があたったところで
何ら不思議なことじゃない。その発端が海外からというのが口惜しいがニューエイジ思想はヒッピー文化から派生
したことを鑑みれば発信源が欧米なのはからむべなるかな、といったところだろう。