1993年1月20日。スイスのトロシュナの自宅で息を引き取ったオードリー・ヘプバーン。没後25年、四半世紀がたった今でも、その人気は衰えていない。記念写真展が開かれ、多数のファンを集め、また衛星放送各局で主演作が連続放映される。「永遠の妖精」との名の通り、いつまでも輝きを失わないスターといえる。
オードリーが亡くなった時に追悼TV番組を企画プロデュースし、オランダに飛びロケをした。それは「妖精ヘプバーンの謎」というタイトルで『驚きももの木20世紀』(テレビ朝日系)(1993年7月30日)にて放映された。
実はそのタイトルにある「謎」こそが番組企画の発端となった。その謎(今日ではファンにもよく知られている)を含めて、オードリーの謎・秘密を解き明かしていくとしよう。
Q オードリーの気品溢れる個性はどこから?
オードリーの代表作といえば誰もが『ローマの休日』を一番にあげるだろう。映画初主演作にしてアカデミー賞主演女優賞を得たという快挙もさることながら、オードリーの気品に誰もが息をのんだ。それくらい、オードリーから演技とは思えぬ品格がにじみ出ていた。この気品・品格はどこから?
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実は、オードリーの母親エラは、オランダ王室に繋がる貴族の出身。オードリーの気品は、まさにその血筋からのものだった。
オードリーが9歳の時、両親が離婚して、オードリーはこの母に引き取られることになる。そして、当時、父親の仕事の関係で住んでいたイギリスから母親の母国オランダに移り住むことになる。このオランダでの出来事が、オードリーにまつわる幾つもの謎を解くカギとなる。
時、おりしも第二次世界大戦が勃発した最中。オランダはナチスドイツの占領下におかれ、この戦火のなかで少女時代をオードリーは過ごすことになる。
Q オードリーはスパイだった!?
さて、ここからがTV番組「妖精オードリーの謎」の企画の肝となったものだ。エラはオランダの祖父の元、アーネム(アルンヘム)にオードリーを連れてきた。このアーネムという場所がオードリーに悪夢の日々を与えることになる。
アーネムは、連合軍とドイツ軍が対峙してオランダ国内でも戦火の激しかった場所だ。マーケット・ガーデン作戦という、連合軍がオランダ国内の補給路を確保する目的で、落下傘兵士を送り込みドイツ軍との戦いが展開された。その最後の要衝がアーネムであった。このことは映画『遠すぎた橋』のなかで克明に描かれている。
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少女のオードリーは、このアーネムにおいて、なんと対ドイツ軍へのレジスタンス(抵抗運動)に協力していた。オードリーは幼少からバレエを習っていて、このアーネムでもバレエ学校に通っていた。そのバレエ学校は実はレジスタンスの隠れ家として、ユダヤ人への国外逃亡の手助け、またバレエの発表会で資金集めなどもしていた。そこで、オードリーは秘密文書の配達(レジスタンス同士や連合軍部隊との)もしていた。それが、オードリーがスパイであった(厳密にはレジスタンスの協力者だったが)と呼ばれる所以だ。
その秘密文書を自転車で配達中に、ドイツ兵に捕まり、からくも逃げ出す事件があった。オードリーはドイツ兵の目を盗み逃げ出して、森の中の廃屋の小屋にたどり着いた。そしてそこの地下室に数日間、隠れ潜んだ。その間、自転車のバスケットに僅かに残っていたパンとジュースのみで乾きと飢えを凌いだという。
飢えと渇きは、その後、家に帰っても続いた。悪化する戦況のなか、食べるものも底をつき、チューリップの球根を料理にして口にするまでになったという。悪夢はこれだけではない。目の前で少年が銃殺されたり、かよわい少女が殴られる光景も目にしたという。この子供たちへの虐待を目にしたことが、晩年、オードリーをユニセフ(国連児童基金)大使の活動にかりたてた要因のひとつと言われている。
Q アンネ・フランクとの奇縁とは?
後年、オードリーの元に『アンネの日記』の主役アンネ・フランクを演じて欲しいとの要望がきた。その際、オードリーは「この役だけは演じることは出来ません」ときっぱりと断った。それで、代わりにミリー・パーキンスがアンネを演じることになった。
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オードリーとアンネは同じ1929年生まれで誕生日も1カ月ほどしか離れていなく、同じ時期に戦渦のオランダにいた。なんとも奇縁だが、アンネがドイツ兵の姿におびえて住んでいた時期に、オードリーも似たような体験をしていたのだ。このあまりも似た境遇にオードリーは役を断ったという。同じようなドイツ兵から隠れ住む悪夢を体験したオードリーにとってとても演じることが出来る役ではなかった。
そして時が経ち1990年。オードリー61歳の時に、悪夢の記憶も薄れたのか、ようやくチャリティーコンサートで『アンネの日記』を朗読して、収益金をユニセフを通じて恵まれない子供たちに寄付することになる。
Q オードリーがヘビースモーカーであった理由とは?
オードリーはかなりのヘビースモーカーとして知られている。1日にタバコを3箱(好きな銘柄はKENT)は空けていたという。
『ティファニーで朝食を(61)』でのシガレット・ホルダーを持つポーズはあまりに有名だが、ほかの作品でもタバコを吸うシーンが多々あり、タバコ好きのオードリーの要望もあったようだ。
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その要因も、戦時下のオランダの体験からとみる。
戦争が終わり、連合軍の手によってオランダは解放される。その時に、オードリーは貰ったオートミールや砂糖、小麦粉は嬉しかったが、その味には辟易したという。それより、何気に兵隊が口にしていたタバコをふざけて貰い受け、吸った時に、えも言われぬ味わいを感じたという。これがヘビースモーカーになった要因だ。
食料より、タバコの味をしめ、その後も、オードリーは拒食症とはいかないまでも、バレエのプリマを目指すこともありダイエットしながら、口寂しさをタバコで凌いでいたのかもしれない。
Q オードリーの美の秘密とは?
オードリーが未だに衰えぬ人気を保つのはその「美」にもある。世の女性の多くがオードリー・ヘプバーンのように美しくなりたいと願う。
オードリーの容姿が美しいのは、バレエのプリマ(主役)を目指していた時の体型の管理からと言われる。残念ながら、プリマになるには背が高すぎて断念せざる得なかったが、そこで磨かれた容姿が女優で生かされることになった。
そして、もうひとつ大きなことが『麗しのサブリナ(54)』でのファッション・デザイナー、ユベール・ド・ジバンシーとの出会いがある。ここで、ジバンシーとオードリーは生涯の友人となる。今でも、ファッションとして定番の「サブリナパンツ」はこの作品から生まれた。
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その時に、ジバンシーがオードリーに「美とは引き算である」と伝えた、という。ファッションと化粧で飾り立てるのではなく、むしろ何か一つでも綺麗にしてそれを効果的に魅せる。それが清楚な美しさを生みだす、と。
オードリーは自らを「コンプレックスの塊である」と称して、自分を美人とは認めようとしなかった。しかし、そのコンプレックスを逆手にとって「どうしたら美しく見せることが出来るのか」を研究した。
それがさまざまなファッションとなって結実もした。サブリナパンツ、ヘップサンダル、アリアーヌ巻き(スカーフ)・・・ほほ笑み方から、写真の写り方まで今日、モデルたちが参考にしている原点をオードリーは編み出した。
Q なぜオードーリー作品には名作が多いのか?
これも『麗しのサブリナ』での出会いからだった。監督のビリー・ワイルダーはオードリーの魅力にぞっこんとなり、以降、オードリーと家族付き合いまでするまでの友人となった。そのビリー・ワイルダーから「映画は先ず、シナリオが大事」との教えを受け、以降、オードリーは先ずシナリオを読み、それで映画に出演するか否かの判断をしたという。事によったら、ワイルダー監督にもシナリオを読んでもらい相談もしていたのかもしれない。
また、結婚した後は、家族のことを一番に考え、映画の出演本数を減らし、より作品を吟味するようになった。オードリーの出演作品数が僅か20本(端役、TV出演作品を入れても27本)と少ないのもこのせいだ。そこで、厳選された巨匠・名匠との仕事が多くなり、それがオードリー主演作品には名作が多いとの評価にも繋がっていった。
Q オードリーが急に老けた要因は?
オードリーの美しさは、その若々しさにもある。『ローマの休日』で主演デビューしたのが24歳。30歳で演じた『緑の館(59)』では、まるで10代の少女のような姿をみせている。初期の作品でのオードリーの容姿は実年齢より5~10歳は若く見える。
そのオードリーが35歳で演じた『マイ・フェア・レディ(64)』では、まさに美の絶頂ともいえる姿をみせた。しかし、この2年後の『おしゃれ泥棒(66)』では、一気に老けて年相応の?中年女性の片りんをのぞかせる。この間に何があったのか?
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そこには、オードリー・ヘプバーンとジュリー・アンドリュースの明暗を分けるドラマがあった。
『マイ・フェア・レディ』は、もともとブロードウエイのミュージカルで、舞台ではジュリー・アンドリュースが主役イライザを演じた。映画化が発表された時、誰もがジュリー・アンドリュースが同じく主役を演じると思っていた。が、イライザ役を射止めたのはオードリーだった。以前にもミュージカル映画『パリの恋人(57)』で歌を披露していて、オードリーは歌うことも厭わなかった。しかし、プロデューサーの意向で、オードリーが吹き込んだ歌は、吹替え専門歌手(『ウエスト・サイド物語(61)』のナタリー・ウッドや『王様と私(56)』のデボラ・カーのなどの歌も吹き替えた)マーニ・ニクソンの歌声に差し替えられてしまった。
全身全霊でこの役に打ち込んだオードリーは落胆した。さらに追い打ちをかけたのがアカデミー賞での出来事だった。『マイ・フェア・レディ』はアカデミー賞作品賞をはじめ8部門の栄誉に輝いた。しかしながら、オードリーは女優賞にノミネートすらされなかった。代わって、この年のアカデミー賞女優賞を受賞したのは『メリー・ポピンズ(64)』のジュリー・アンドリュースだった。そう、舞台でイライザを演じて、映画ではオードリーにその座を奪われたアンドリュースが、復讐するかの如く、アカデミー賞を受賞したのだ。このことのショックはかなり大きかったのではないだろうか。
一時は引退を考えたほどの落ち込みようだったという。そのオードリーを『おしゃれ泥棒』で再び銀幕に復帰させたのが『ローマの休日』でオードリーを見出した巨匠ウィリアム・ワイラーだった。しかしながら、ワイラーの手腕をもってしても「妖精」は復活できなかった。
こうして、オードリーは女優業から次第に遠のいていき、ユニセフ活動に力を入れる晩年を過ごした。
「何よりも大切なのは人生を楽しむこと。幸せを感じること」とオードリー・ヘプバーンは言い残している。
25年前に、オードリーのゆかりの地をロケ訪問しながら、その瞬間に感じていたのも幸せだった。
(C)2018/Cinema Tantei/Misaki Naoya