映画『男はつらいよ』シリーズ、シリーズ開始の50年目に第50作にあたる『男はつらいよ/お帰り寅さん』が公開された。そこで、寅さんと健さん(高倉健)の不思議な縁にまつわる謎を明かしてくことにしよう(別ブログ「旅と映画と音楽と」より一部転載)

 

 映画『男はつらいよ』シリーズは主人公・寅さんが日本中を旅する。なかでも故郷・柴又を除いて、一番多く旅した(ロケが行われた)場所が北海道だなぜなのか? それには二つの理由がある。ひとつは、寅さんシリーズがお盆公開(寅さん映画はお盆と正月の公開が鉄則だった)の時、撮影は6月に行われ、この時期、梅雨のない北海道がロケ地に選ばれることが多かった。もうひとつは、後述するが山田洋次監督が北海道が好きだったことが挙げられ、8作品で北海道が登場する。なかでも、寅さんにとって永遠のマドンナともいえるリリー(浅丘ルリ子)との初めての出会いがあったのが『男はつらいよ/寅次郎忘れな草(73)』での網走だ。網走といえば高倉健の出世作『網走番外地(65)』があまりにも有名だ。そして、ここ網走を起点にして、その後、山田洋次監督と、渥美清、高倉健、倍賞千恵子の不思議な縁が繋がっていく

『男はつらいよ/寅次郎忘れな草』で、網走の橋のたもとの路上でレコードを売る寅に、リリーが声をかけてくる。これが二人の出会い。そしてリリーは網走のさびれたキャバレーで「港がみえる丘」を唄う。「見える丘」は、作詞・作曲をした東辰三氏によれば横浜の「見える丘をモデルにしたわけではなく「どこにでもある港がみえる丘」を唄ったものだという。まさに、全国の港町を流れゆくリリー、そして寅さんにも、ふさわしい歌だ。ここで、さすらい人を演じることが多い高倉健とフーテンの寅こと渥美清のイメージが重なってくる。
 『男はつらいよ』は、もともと山田洋次監督がTVシリーズ(68年~69年)として発案したもので、主人公・車寅次郎は、当時、一世を風靡していた高倉健の任侠映画にあやかり、健さんが演じる渡世人を目指すものの、やることなすことが三枚目になってしまうテキ屋(行商人)という設定だった。つまり、当初から寅さんは健さんをモデルにしていたのだ。
 ここで不思議な縁がある。高倉健の晩年の代表作のひとつ鉄道員(ぽっぽや)(99)』の舞台となった駅が「幾寅」駅(映画では「幌舞」駅として登場し、そのまま駅の看板が観光客用にと「幌舞」とされてしまった)。「寅」が結んだ縁なのだろうか?

 縁はまだ続く。山田洋次監督が、北海道が好きなのは「西部劇からの影響が大きい」という。北海道の原野や牧場は、まさに西部劇の世界を彷彿とさせる。そこで、山田監督は、渥美清に代えて高倉健を主人公にして相手役の倍賞千恵子はそのままに『幸せの黄色いハンカチ(77)』と『遙かなる山の呼び声(80)』の北海道2連作を作る。『遙かなる山の呼び声』のタイトルは、西部劇の名作『シェーン(53)』の主題曲からとったもので、ここにも山田監督の西部劇へのオマージュ(敬意)が感じられる。

 山田洋次監督が、高倉健との映画を撮るきっかけを作ったのは、倍賞千恵子さんが「男はつらいよ~」の撮影現場で何気に口づさんでいた洋楽の「幸せの黄色いリボン(ドーン)」からだった。それを聞いた山田監督がその歌詞に興味を惹かれ、それが実話を元にした歌詞であることを知る。そして、その実話を記したジャーナリストのピート・ハミルの著作から名作幸せの黄色いハンカチ(77)が生まれることになる。そのロケ地となったのが北海道・夕張市。クライマックスで使われた、「黄色いリボンがたなびく広場」はそのまま残され観光名所となっている。

 そして、最後に都市伝説をひとつ。

 北海道を巡る伝説のひとつに、源義経伝説がある。定説では義経は、平泉にて自刀したという。が、それは影武者で、本人は北海道に逃げ渡った説がある。北海道沙流郡平取町には、その名も「義経神社」がある。伝説によれば、蝦夷(北海道)に逃げた義経は、この地で隠れ住んだという。そのあと、さらに義経はロシアに渡り、さらにモンゴルに入り、ジンギス・ハンとなったというのは、眉唾ものと言われながらも都市伝説として流布している。その証明として、義経とジンギス・ハンの誕生日が寅年寅の日寅の刻、と同じであるというものがある。トラ、トラ、トラ・・・と思い出すのは、真珠湾攻撃の際に日本軍が打電した暗号電信である。この暗号の意味は「ワレ、奇襲ニ成功セリ」であり、諸説あるようだが(打電しやすいなど配列であるなど)「奇襲」から連想されるのは、義経の奇襲戦法(一ノ谷の戦い)だ。すれば、義経の誕生日、トラ・トラ・トラから、というのは・・・?。

 最終作『お帰り寅さん』では、寅さんの行方は(その生死さえ)明かされていない。

 寅は、トラ・トラ・トラの義経に習って、大好きな北海道に渡り、余生をすごしているのかもしれない。

 と言うのは・・・信じるか信じないかはあなた次第です・・・

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