ネオムギ/Neoむぎ茶(松樹千年翠)オフィシャルブログ「ネオブロ」by Ameba -22ページ目

最後

まあ最終的に確実なアレがあるので、実は唯一絶対の結論はあるのだろうけれど、
それをあっちにやっての思考も人間には必要なものだと思うので無意味ではない

ただ、哲学というものは正直自慰行為であることにはかわりないと考えているので、前述の結論をとりあえず棚にあげると決めたなら、極力少ない時間に減らしたほうがよいとも思う なるほど


ひもの屋に来たのに閉まってて、好きじゃないジョナサンに入ったのでだらだらブログを書いてしまった

…本日「幸せとは」等というテーマを長々書いたのは、実はジョナサンが原因でメシがまずい不幸からだったというオチ

さらにその続き

しかしながら、思考に終わりは無く、結局解決というか正しい答えは見つかるものではないと諦めているのも事実

正解を見つけた!と思うのであれば、それはもう絶望的に勘違いか、自己暗示による強制自己完結によっての限定下での自身にとっての正解なのだと思う ※もちろんそれは何ら悪いことではないけど

なので、こうして考えるだけ考えて、結局だらだら答えはいつも出さないし出せない

それなら考えるのは時間の無駄であり、自慰行為と同様かもしれない

おそらく答えを出さないほうがいいのが人間

そして、まあどうでもよくなってくる(笑)

続き

人間なのだから、考えて、頭を動かして、意味と意志をもった選択をできる割合を増やすことを考え、実行すべきなのだと思う

意味と意志の介入しない選択は、選択ではなく、人間としての尊厳に欠ける気もしなくはないが、そんなことはもっと意味のあることに比べてしまえば大したことないのかもしれない

海の中の魚一匹とまではいかなくても、10キロの米袋うちの米粒一つくらいかもしれない

だが結局は米粒一つ一つが集合し、10キロの米袋を構成しているのであり、海の魚一匹までいけば別だが、その程度ならばやはり案外重要なのかもしれない

何かを得ると何かを失う

下手に才能があると努力をする経験機会が減る

普段人よりちょっと優れていると、そうではない人に負ける経験に劣る

他人から見て人より幸福な人より、案外そうでない人のほうが幸せだったりすることも多い

そう考えると、大半の事象としては結局何かを得るためには何かを失うことになるようだ

しかしながら、得るものと失うものの天秤が釣り合わなければならないものでもない

ということは、得るものとその代償が、割に合う生き方をするべきだ

費用対効果ならぬ会得利益対喪失損失というか、代償対対価というか…

つづく

続きの続き

大人が絶世の美女と一夜を過ごすよりも、童貞小僧がクラスの好きな子にくわえてもらうほうが感極まる至福かもしれない

やはり、慣れや落差が必要となる

不便ない生活ばかりしていると段々麻痺し、同じ幸せを感じるため必要な幸福度数がエスカレートしてきりが無くなる
これは効率的とは言えない

リセットすることが近道なのかもしれないことを考えると、一度懲役を食らってくるということも悪くないとか考えてしまう

規則正しい生活・運動・読書まで手に入るので一石二鳥!

ただ、不衛生なのとメシがダメだし立場的にも厳しいなぁ…ショック!