晋・司馬王朝は、残存勢力が中国南部で東晋として生き延びはしたが、中原(天下の中央・華北地方)では | Resurrection : 復活の森:ヤポネシア、夜明けと目覚めの光復:GP陰陽哲理学Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience

晋・司馬王朝は、残存勢力が中国南部で東晋として生き延びはしたが、中原(天下の中央・華北地方)では



01.
 
国際舞台に登場した「倭」
02.  邪馬台国・卑弥呼の誕生と倭人の出自
03.  空白の4世紀のヤマト王権

晋・司馬王朝は、残存勢力が中国南部で東晋
として生き延びはしたが、中原(天下の中央
・華北地方)では遊牧民族・匈奴の単于
(ぜんう=皇帝)・劉淵に支配される
(後の
前趙)こととなり、実質的に滅びた。
 下図に見られるように、中国北部いわゆる
中原は、万里の長城で侵入を抑えたはずの
辺境の遊牧民族、五胡即ち匈奴・鮮卑・羯
(けつ・匈奴の一部族
・氐(てい)・
(きょう)が支配する時代、
五胡十六国と
称される時代になって行った。




 
http://www.ne.jp/asahi/chronicles/map/newpage11.htm

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 また朝鮮半島では、中国王朝の半島経営
がすっかり衰退した中、強力な高句麗が
楽浪郡や帯方郡を併呑し、
勢力を広げた。また倭と同様、クニ・国を
纏めた緩い連合国家レベルでしかなかった
馬韓や辰韓からも、それぞれ百済王国と
新羅王国とが勃興した。


04.  古墳時代の技術革新
05.  騎馬民族征服王朝説
06.  騎 馬民族は来た!? 来ない?!

日本人の起源