近代資本主義の精神と賤民資本主義:ヴェーバーの言う「天職」とは、シャーマニズムの「召命」と似る? | Resurrection : 復活の森:ヤポネシア、夜明けと目覚めの光復:GP陰陽哲理学Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience

近代資本主義の精神と賤民資本主義:ヴェーバーの言う「天職」とは、シャーマニズムの「召命」と似る?

ヴェーバーの説く資本主義の精神(霊魂)の核に「天職」Berufがある。これは、シャーマニズムの「召命」と似ていよう。ただ、様態が大変異なるが。前者は、合理主義的であり、後者は非合理主義的である。もっとも、「神の声」という点では、前者も一種非合理主義的であるが。
 私の直観では、「天職」とは、超越性が働いていることから生じるのである。これは、思うに、父権的自我における、無意識の魂から発するものである。つまり、父権的自我と母権的魂の両面があったことになる。陽と陰である。だから、資本主義の精神(霊魂)とは、本来、陰陽要素をもっていたのであり、そのバランスが源泉であったと思われるのである。
 しかしながら、その後、魂の超越性が衰えて、世俗的合理主義が主導化したと考えられる。
 しかし、超越性の志向は、まったく消えてはいないだろう。(日本は、敗戦後、唯物論によって、超越性は否定されたと言えよう。)
 問題は、プロテスタンティズム的資本主義とユダヤ教的賤民資本主義の関係である。
 そう、二つの資本主義があるのである。米国は本来、前者がベースであるが、後者が支配していったと言えよう。
 そして、オバマ大統領は前者の再生を志向していたと思われるが、今や、大反動である。
 賤民資本主義は凶暴・狂暴である。ジェノサイド主義である。
 そう、近代資本主義の精神(霊魂)であるが、上述で、陰陽バランスを説いたが、思うに、陰陽バランスには、「こころ」=愛があるのである。ここが、賤民資本主義とはまったく異なるのである。
 前者は、他者との共存を志向するが、後者は、自我中心主義で、他者破壊的である。

ヴェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を解読する ...

「資本主義の精神」と「天職」の観念

ベンジャミン・フランクリン

ヴェーバーによれば、近代資本主義を成立させた原動力は、資本主義の精神にある。では資本主義の精神とは何か?ヴェーバーはその原型をベンジャミン・フランクリンに求めている。

フランクリンは、かの有名な「時は金なり」Time is moneyという表現で知られるアメリカの作家・政治家だ。アーレントが『革命について』 で取り上げていたジョン・アダムズやトマス・ジェファーソンと並ぶ「アメリカ建国の父」のひとりであり、現在の米100ドル紙幣にはフランクリンの肖像が使われている。発明家でもあり、凧を使った実験で雷が電気であることを発見したことでよく知られている。

そんなフランクリンのどこに資本主義の精神が認められるのだろうか?ヴェーバーは次のように言う。

「時間は貨幣であることを忘れてはならない。一日で10シリング稼げるのに、遊んだり怠けたりして半日過ごすような人は、実際には6ペンスしか娯楽に使っていないとしても、最低5シリングはドブに捨てているに等しいのだ」。このようにフランクリンは私たちに説く。

これと対照的なのが、中世ドイツの大富豪ヤコブ・フッガーだ。フッガーはすでに引退した同業者から「そろそろ引退したらどうだ?」と忠告されたとき、これを退け、「生きている間は出来るだけ儲けてやろうと思っているぜガハハ」と答えたといわれている。

フッガーの場合は、商人的な冒険心の表明にすぎないのに対して、フランクリンの場合には、倫理的な生活原則という性格を帯びている。

私は本書で「資本主義の精神」という概念を、フランクリン的な意味合いで使うことにしようと思う。確かに資本主義は中国やインド、バビロンにも、ま た古代にも中世にも存在していた。しかしそのいずれにもフランクリン的な「精神」は存在しなかった。この精神が、それら資本主義と、近代ヨーロッパ的資本 主義を分けるひとつの本質的な要素なのだ。

Philosophy Guides


  1. マックスウェーバー『古代ユダヤ教』を読みだす:ユダヤ教の二重性 ...

    d.hatena.ne.jp/antares/20131231
    2013年12月31日 ... 私が批判するジェノサイド戦争資本主義は古代ユダヤ教社会の賤民資本主義に起源が
    あり、プーチン=オバマ平和資本主義に存すると私見する自由共同体資本主義は
    キリスト教を媒介にした古代ユダヤ教合理的資本主義に由来する言えよう ...

  2. 近代資本主義と宗教意識ー“ウエバー・テーゼ”を巡って

    www1.meijigakuin.ac.jp/~miyamoto/CEH/Weber%20These.html
    この問題に1つの回答を与えたのがM.ウエーバーの「プロテスタンティズムの倫理と
    資本主義の精神」(1904~05年)という論文である。 ... ていたのはユダヤ人の方が先で
    あり、ユダヤ人の経済活動の方がより重要だとしているし、ウエーバーのいう合理的精神
    の方も彼等 .... 良い資本主義」(近代資本主義)、前期的資本がもたらすそれを「悪い
    資本主義」(ウエーバーによると賤民資本主義)としていると。 .... W.ゾンバルト『恋愛と
    ぜいたくと資本主義』(講談社学術文庫)、羽入辰郎『マックスヴェーバーの犯罪』(
    ミネルヴァ書房)等.