凹i*凸i⇒±1=±lmn:陰陽極性=虚数=時間は原点で実数=四元数的三次元空間を発現する
陰陽方程式凹i*凸i⇒±1において(今は、両界曼荼羅方程式はおいておく)、左辺凹i*凸iの陰陽極性は、時間を意味し、そして、右辺の±1の実数極性は、空間、三次元空間を意味するのではないだろうか。
次元転換を意味する⇒であるが、そこにおいて、時間が空間を形成する力学がはたらくのであるが、それは、思うに、四元数(しげんすう:四元数 - Wikipedia )で記述できるのではないだろうか。
凹i*凸i⇒±ijk⇒±1
ということになる。
言い換えると、凹i*凸i⇒±1の⇒には、⇒±ijkが内在しているということになる。
とまれ、±ijkとは、三次元空間の言わば、原型(プロトタイプ)であり、まだ、物理的三次元空間にはなっていないと思われる。
三次元空間として、現象するには、±1になる必要があるだろう。
否、今、ふと想起したことであるが、以上のようではなく、
凹i*凸i⇒±1=±ijk
が正しいのではないか。
つまり、右辺の±1=±ijkは、正に、物理的三次元空間現象を意味しているのではないだろうか。
そう、左辺凹i*凸iの陰陽極性が時間であり、右辺の±1=±ijkを空間(三次元空間)と読むのである。
ポイントは、現象において、左辺凹i*凸iの陰陽極性=時間が当然、作用・活動していることである。それが、三次元空間現象の生成消滅を発動させていると考えられるからである。
すると、陰陽極性凹i*凸i=時間であるが、これは、現象、三次元空間現象において、内在し、且つ、超越して、存在すると言えよう。つまり、陰陽極性凹i*凸i=時間とは、内在超越的存在であるということである。
このように見ると、時間と空間の哲学・科学的問題が解明されるのではないだろうか。
そう、ハイデガーの存在論も、これで、説明できよう。ハイデガーの難解な『存在と時間』であるが、以上のように、陰陽極性凹i*凸iを時間存在とすれば、そして、±1=±ijkを空間存在とし、それに、時間存在が内在超越すると見れば、世界内存在も明快になろう。これについては、別に論じたいが。
そして、また、氣学、氣論もより哲学=科学的に解明されるだろう。つまり、氣の本質は時間存在であり、それは、空間現象するということである。そして、その空間現象、あるいは、時間空間現象とは、自然現象であり、それは、根本的には、生命現象であるということになる。
最後に、先に仮説した両界曼荼羅方程式凹I*凸I⇒凹i*凸i⇒±1であるが、それは、上記から以下のように書き換えられる。
凹I*凸I⇒凹i*凸i⇒±1=±ijk
である。
そう、精神・霊極性凹I*凸Iの精神・霊(スピリット)であるが、それも、現象しているのであるから、やはり、内在超越存在である。つまり、存在とは、二つの存在があるのである。
精神・霊存在と氣的生命時間存在である。
思うに、精神・霊存在と時間存在の関係はどうなるのだろうか。
両界曼荼羅方程式から、精神・霊存在が時間存在を形成するのであるから、精神・霊存在とは、超時間存在である。
超時間存在とは、何だろうか。
それは、原時間、元時間である。つまり、非時間である。つまり、永遠である。精神・霊界は、永遠界である。
追記:±1=±ijkであるが、右辺は三次元空間であるが、左辺は物理的極性を意味しているのではないだろうか。電気の±極性であり、磁気のNS極性ではないだろうか。
追記2:虚数の表記が混乱している。陰陽極性の凹i*凸iと四元数のi, j, kのiが同じになっている。
これは、陰陽極性の虚数を訂正して、Iにすれば、いいだろう。即ち、凹I*凸Iである。
すると、玉突きで、精神・霊極性の超虚数であるが、これまで、Iにしたが、永遠のeternityから、Eか、あるいは、Iより以前のHにするか、あるいは、最初のαにするか、等である。
とりあえず、αにしよう。すると、両界曼荼羅方程式は、
凹α*凸α⇒凹I*凸I⇒±1=±ijk
となる。
しかし、ijkを変えてもいいのである。すなわち、ijkをlmnにするのである。すると、
凹I*凸I⇒凹i*凸i⇒±1=±lmn
となる。
次元転換を意味する⇒であるが、そこにおいて、時間が空間を形成する力学がはたらくのであるが、それは、思うに、四元数(しげんすう:四元数 - Wikipedia )で記述できるのではないだろうか。
凹i*凸i⇒±ijk⇒±1
ということになる。
言い換えると、凹i*凸i⇒±1の⇒には、⇒±ijkが内在しているということになる。
とまれ、±ijkとは、三次元空間の言わば、原型(プロトタイプ)であり、まだ、物理的三次元空間にはなっていないと思われる。
三次元空間として、現象するには、±1になる必要があるだろう。
否、今、ふと想起したことであるが、以上のようではなく、
凹i*凸i⇒±1=±ijk
が正しいのではないか。
つまり、右辺の±1=±ijkは、正に、物理的三次元空間現象を意味しているのではないだろうか。
そう、左辺凹i*凸iの陰陽極性が時間であり、右辺の±1=±ijkを空間(三次元空間)と読むのである。
ポイントは、現象において、左辺凹i*凸iの陰陽極性=時間が当然、作用・活動していることである。それが、三次元空間現象の生成消滅を発動させていると考えられるからである。
すると、陰陽極性凹i*凸i=時間であるが、これは、現象、三次元空間現象において、内在し、且つ、超越して、存在すると言えよう。つまり、陰陽極性凹i*凸i=時間とは、内在超越的存在であるということである。
このように見ると、時間と空間の哲学・科学的問題が解明されるのではないだろうか。
そう、ハイデガーの存在論も、これで、説明できよう。ハイデガーの難解な『存在と時間』であるが、以上のように、陰陽極性凹i*凸iを時間存在とすれば、そして、±1=±ijkを空間存在とし、それに、時間存在が内在超越すると見れば、世界内存在も明快になろう。これについては、別に論じたいが。
そして、また、氣学、氣論もより哲学=科学的に解明されるだろう。つまり、氣の本質は時間存在であり、それは、空間現象するということである。そして、その空間現象、あるいは、時間空間現象とは、自然現象であり、それは、根本的には、生命現象であるということになる。
最後に、先に仮説した両界曼荼羅方程式凹I*凸I⇒凹i*凸i⇒±1であるが、それは、上記から以下のように書き換えられる。
凹I*凸I⇒凹i*凸i⇒±1=±ijk
である。
そう、精神・霊極性凹I*凸Iの精神・霊(スピリット)であるが、それも、現象しているのであるから、やはり、内在超越存在である。つまり、存在とは、二つの存在があるのである。
精神・霊存在と氣的生命時間存在である。
思うに、精神・霊存在と時間存在の関係はどうなるのだろうか。
両界曼荼羅方程式から、精神・霊存在が時間存在を形成するのであるから、精神・霊存在とは、超時間存在である。
超時間存在とは、何だろうか。
それは、原時間、元時間である。つまり、非時間である。つまり、永遠である。精神・霊界は、永遠界である。
追記:±1=±ijkであるが、右辺は三次元空間であるが、左辺は物理的極性を意味しているのではないだろうか。電気の±極性であり、磁気のNS極性ではないだろうか。
追記2:虚数の表記が混乱している。陰陽極性の凹i*凸iと四元数のi, j, kのiが同じになっている。
これは、陰陽極性の虚数を訂正して、Iにすれば、いいだろう。即ち、凹I*凸Iである。
すると、玉突きで、精神・霊極性の超虚数であるが、これまで、Iにしたが、永遠のeternityから、Eか、あるいは、Iより以前のHにするか、あるいは、最初のαにするか、等である。
とりあえず、αにしよう。すると、両界曼荼羅方程式は、
凹α*凸α⇒凹I*凸I⇒±1=±ijk
となる。
しかし、ijkを変えてもいいのである。すなわち、ijkをlmnにするのである。すると、
凹I*凸I⇒凹i*凸i⇒±1=±lmn
となる。