官僚、役人の心性について:父権的二項対立的利己中心的悪魔的知性 | Resurrection : 復活の森:ヤポネシア、夜明けと目覚めの光復:GP陰陽哲理学Gaussian Plane Yin-Yang Philosophience

官僚、役人の心性について:父権的二項対立的利己中心的悪魔的知性

今は昔、ポスト・モダンという「哲学」が流行ったが、そのポジティブな要素は真に認識されなかったと思う。
 結局、それは、権力的思考批判なのである。権力的思考とは、二項対立的思考であり、自己は優位、優越であり、他者は劣位、劣等であるという思考である。
 わかりやすく言えば、エリート、秀才の思考である。当然、日本では、某大学出の人間の思考が典型的である。
 そして、この二項対立的思考批判とは実は、自己同一性批判なのであり、他者の肯定なのである。
 これが、ポスト・モダンという「哲学」のポジティブな核心であるが、一般的には表面的に取られて、真に認識されなかった。
 しかし、ポスト・モダンには、悪しき思考が残っていたのである。それは、連続性の哲学であり、それが、権力的思考批判を弱体化したと考えられる。
 私は、今では決裂しているが、kaisetsu氏とともに無双PS原理の前身である不連続的差異論(追記:これは、真に画期的理論と考えられる。その後、PS理論へと展開したが、PS理論とは、ガウス平面による数学主導の理論であり、それは、シナジー、つまり、極性への発展という点では、一歩前進したものの、太極・陰陽性を真に救い上げていなかった点で大きな欠点をもっていたと考えられる。追記2:太極陰陽性とは、不連続的差異共振性と言うことができよう。)をかつて構築したが、それは、ポスト・モダン哲学のその弱点を克服したものと考えられるのである。

追記:二項対立的思考とは、絶対的独善・独断主義なのである。つまり、カトリックの無謬説と同質の思考なのである。「私」は絶対的に正しくて、それに外れるものは、劣等なもの、侮蔑・軽蔑の対象、邪悪なものとされるのである。キリスト教原理主義はこの考えと同じである。

参照:

不連続的差異論とPS哲科学 ( 3 )

不連続的差異論 (108)

参考:

天皇制」と封建制:近代日本の封建的国家体制:父権的自我優越妄想 ...

protophilosophy.noblog.net/blog/e/11186194.html
2011年3月27日 – 天皇制」と封建制:近代日本の封建的国家体制:父権的自我優越妄想主義:トランセンデント・モダン ... そう、自我には先験的優越・妄想性があるのであり、それが、独善性、独断性、欺瞞性等々の虚偽を生んでいると考えられるのである。